| 問題II次の(1)から(4)の文章を読んで、それぞれの問いに対する答えとして最も適当なものを1・2・3・4から一つ選びなさい |
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(1)年齢というのは、相手を理解する上での①重要なキーワードだと、わたしは思っている。 同じく、自分を理解してもらう上での重要なキーワードでもある。
「同じ世代だったんですね。じゃあ、あれ、ご存じでしょ?」 ということもあれば、 「へえ、十歳違うと、やっぱり考え方が異なってくるものですねえ」 ということもあるだろう。
それにわたしは、②自分の年齢を恥じたりしていない。若くして亡くなる人もいるというのに、わたしはいま現在で半世紀もの年月を生きることができた。いやなこともいいこともいっぱいあったが、そのどれもが、かけがえのない(注1)
わたしの人生、一年たりとも否定したりごまかしたりしたくはない。
しかし、かなりの文化人ではあっても、女性の中には年齢を公にしたがらない方がけっこういらっしゃるようだ。あるシンポジウム(注2)に参加した時、パンフレットのパネラー
(注3)紹介で、わたしのところだけ年齢がなかった。他のパネラーは男性で、全員、ちゃんと年齢が記されている。どうしてでしょうと問い合わせると、③女性の方は年齢を入れないでほしいとおっしゃる方が多いので、と言われた。つまり、勝手に気遣って(注4)、わたしだけ年齢を伏せて(注5)くださったとうわけだ。余計な(よけいな)お世話である。ひとこと、どうしますかと尋ねてほしかったのにと、④かえって腹がたった。
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(山崎洋子「隼齢は堂々と1コにしよう」「笑顔』1999年2月号
保健同人社による)
(注1)かけがえのない:他に代えられない、大切な
(注2)シンポジウム:ある問題についての意見や研究結果の発表会
(注3)パネラー:シンポジウムなどの講師(こうし)・発言者(はつげんしゃ)
(注4)気遣う(きづかう):相手のためを思って、いろいろ配慮する
(注5)伏せる(ふせる):人に知られないようにする。知らせない |
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(2) 「ごちそう」は、もともと「馳走」という漢語から出たことばです。「馳走」は「走りまわる」「かけめぐる」という意味ですが、つまり、食事を作るために、その材料を集めるのに、あるいは煮たり焼いたりするのに、身体をいそがしく動かさなければならず、その労苦へのねぎらい(注1)と感謝から発せちれる「あいさつ」のことばで、「ご苦労さまでした」「お疲れさまでした」「お造作(注2)をかけました」「ありがとうございました」といったニュアンスのことばであるわけです。
だから、なにも料理にかぎったことではなく、たとえばとなりの家へもらい風呂(注3)に行ったとき、風呂に入った帰りがけに、 ①「ごちそうさまでした」
というあいさつが、今でもつかわれる場合があるのではないかと思います。
ことにむかしは、風呂ひとつたてる(注4)にしても、風呂おけに水を汲み入れ、たきぎ(注5)を集めたり、付きっ切り(つきっきり)で火を燃やしたり、大変な労働をともなう仕事であったわけですから、なおさら、「ごちそうさまでした」というあいさつがつかわれても、少しも変ではなく、また、そこにこめられた気持ちには深いものがあったといえるでしょう。 (中略) 「ごちそうさま」は、料理そのものより、むしろ人間の心に向けて発せられる「あいさつ」なのです。
ついでにいうと、料理屋で食事をしての帰りに、店の人に、 「ごちそうさま」
という人がいますが、わたしは、それはあまりそぐわない(注6)と思っていて、②つかいません。 「お世話さま」 というのをつかいます。
もらい風呂をして、「ごちそうさまでした」といっても、お風呂屋さんでは、そうはいわない。お風呂屋さんも料理屋さんも、それが商売であり、そこで、「ごちそうさま」というのは、度をすぎたお世辞になり、いやらしいと感じるのです。「あいさつ」のことばにも、それをつかう場合の節度(注7)があるべきだと思います。
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(川崎洋「ことばの力」 岩波ジュニア新書による)
(注1)ねぎらい:ご苦労様と思う気持ちを表す言葉や行為 (注2)造作(ぞうさく):面倒、手数 (注3)もらい風呂:自分の家に風呂がないので、近所の家の風呂に入らせてもらうこと
(注4)たてる:わかす (注5)たきぎ:薪:燃料にする木 (注6)そぐわない:ふさわしくない
(improper,
unsuitable) (注7)節度(せつど)がある:適度で、行き過ぎがない
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(3)その教授は、人間の脳がどのような作用によって活性化(注1)されるのか、という問題について話を進め、交通事故によって脳の一部をひどく損傷してしまった少年の実例を拳げた。(中略)
少年の脳の損傷具合はかなりひどいものだったので、医師は両親にその旨(注2)を告げ、たとえ手術がうまくいっても植物人間になることは免れないと宣告。①その上で手術をしたわけだが、リハビリ(注3)の段階で少年に対してできるかぎりの愛情を注ぐことを、両親に勧めたらしい。たとえ寝たきりで反応がなくても、一日じゅう手や足をさすってやり、優しく励ましてやるようにと指示したのである。両親は愚直な(注4)までにこの指示を守り、来る日も来る日も少年の手足をさすり、励まし続けたという。 ② 、本来なら障害が起きてしかるべきであるはずの少年の脳は活発に働き始め、植物人間どころか、退院の日にはジョギングをしても大丈夫なほど回復したのだそうである。
「少年の退院の日は、③まさに感動的でありました」
と教授は瞳を潤ませながら語っていたが、この実例から彼が引き出した結論(というか未だ仮定なのかもしれないが)は、人間の脳は“誰かに受け入れられる"という前提のもとに、活発に働くということであった。受け入れられるというのはどういうことかというと、これはとりもなおさず愛されるということである。ようするに愛し、愛されるという刺激がなければ、人間の脳は活発に働かないし、創造性も高まらないのである。
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(原田宗典「幸福らしきもの」 集英社による) (注1)活性化する:刺激を与えて、働きを活発にする (注2)その旨:その内容
(注3)リハビリ:体が不自由になった人が社会生活にもどれるようにする訓練 (注4)愚直なまでに:愚かだと思われるほどまじめに
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(4)日本では、政治家に限らず、選挙が行われる前に、しばしば話し合いによって当選者が決まっていることが多い。たとえ選挙が行われても、それは形式的なもの(注)で、実際には、前もって選ばれていた人が勝利を収める結果が、既に作ちれていることがよくある。
問題点に関して、徹底的に論争を行い、相手を打ち負かした方が人気を得て選挙に勝つという、民主主義の原点とも言うべき選挙のやり方が、なぜ①日本では行われないのであろうか。
②「黙って俺について来い」という指導者は、日本では長続きしない、と言われている。日本の指導者は、先頭に立って集団を引っ張っていくのではなく、いくつもある意見の調整役なのだ。つまり、強い個性と明確な方針を持っているような人物は、自分の意見にこだわりすぎるため、他の意見を受け入れない。すると、彼によって受けいれられなかった人々が、もともとはそれぞれ違う意見を持っていたにもかかわらず、団結して反乱を起こし、彼は指導者の地位を追われてしまうことになる。それよりは、一つ一つの意見に耳を傾け、何とか妥協点を見付けて、だれもが賛成できるような一つの結論へとみんなを導いていく、そのような人物がありがたがられるのである。
日本の首相が国際会議の場で、はっきりした見解や意見を言わず、ひたすら各国首脳の聞き役に回っているのも、③そのような調整役を果たそうとしているのである。
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(注)形式的なもの:内容を重視せず、決められた手続きに従っているようす
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