ÈÇÓ×ÅÍÈÅ ßÇÛÊΠ- ßÏÎÍÑÊÈÉ
STUDY LANGUAGES - JAPANESE

8. JLPT N1

 


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Japanese language proficiency test
Language knowledge: Reading
014 - Task 6. Text comprehension (Reading-2)

 
 
 
 
 
 
https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-21/

問題1

何であれ、一個の製品を完璧に仕上げるのに要求される技能は、たいへんなものです。そんな芸当が可能な職人の数は限られていることでしょう。作り出せる製品の数も、自然と限られてきます。ところが、作業工程を細分化してみますと、個々の工程は意外に単純だったりします。より単純な、一つひとつの工程であれば、きちんとこなせる職人の数は、製品をまるごと作れる職人の数に比べて、ずっと多くなるでしょう。また、未熟練だった職人が腕を上げるのも、より単純な一工程に限定しての話であれば、ずっと容易です。作業の細分化と役割分担、つまり分業化は、確かに「1」生産性を向上させるものなのです。
一個の経済に属するということは、その経済に属する他の人たちと分業関係を取り結ぶことを意味します。
あなたの仕事も、同じ日本に住んでいる面識もない誰かの仕事も、「2」同じ分業の網の目に属しているのです。
今では分業関係は世界全体に広がっていますから、あなたがした仕事が、地球の裏側にいる誰かのした仕事と組み合わさっているということも、ざらにあります。そして、分業の網の目が全世界に広がり、たとえば一個の工業製品を生産するために、構想からデザイン、原型の製作、部品の製造、組み立てといったさまざまな作業が全世界に広がっている現代は、確かに人類史上最も豊かな時代なのです。
(徳川家広「自分を守る経済学」による)

1. 「1」生産性を向上させるとあるが、なぜか。
作業工程が細分化されると、一つひとつの作業が速くなるから
作業工程が細分化されると、職人でなくてもできるから
一工程であれば、仕上げられる職人の数が増えるから
一工程であれば、どんな職人でもできるから

2. 「2」同じ分業の網の目に属しているとは、どのようなことを意味しているか。
一連の作業工程の中の一つの役割を担っているということ
作業工程が細分化されて分業関係が多様であるということ
誰もがどの工程でもこなせる状態にあるということ
同じ工程を分担している人が数多くいるということ

3. 筆者は現代をどのような時代だと考えているか。
世界全体に熟練した職人の技術が広められている。
世界全体の分業関係で経済が成り立っている。
世界中で工業製品の品質が高くなっている。
世界のすべての国で分業が重視されている。

問題2

契約自由の原則は近代資本主義の勃興期の経済体制によくマッチしていました。それがはたした功績は大きいものでした。しかし、19世紀末葉にいたり、資本主義が成熟し、高度化するにともない、これをそのまま維持することは、場合によっては、結果的に人々を不公平に扱うことになってまいりました。大資本による市場の独占化の傾向が出てくる段階になりますと、このことはさらに一段と顕著となります。きこにおいて、契約自由の原則は変容をせまられることになるのです。
(井口茂「くらしの法律相談 契約で失敗しないための知識とQ&Aによる)

4. 契約自由の原則が変容をせまられることになるのはなぜか。
今までの契約自由の原則は、人々を不公平に扱うことが前提になってにたから
大資本の市場の独占によって、契約自由の原則の本来の目的が達成されたから
近代資本主義の勃興期の契約自由の原則は、19世紀の経済において功績を残さなかったから
資本主義の成長にともない、それまでの契約自由の原則では人々を公平に扱えない場合が増えてきたから

問題3

以前のことですが、地元の図書館の返却ポストに誤って郵便物を「投函」してしまいました。この返却ポストの色は「グレー」でした。最近の新しい郵便ポストは「グレー」のものが増えてきましたが、それで「グレー」に「反応」してしまったのです。本物のポストは、そこから
も離れていないところに赤い色をしてありました。事の重大さに気づき、あわてて図書館の職員に電話で「1」そのことを伝え、事無きを得ました。光は人の目に入り、脳がその刺激を受けることから、「2」人は色を見て、過去の記憶が呼び起こされたり、あるものごとを連想することがあります。そういったことから、色は直接視覚を反応させるシンボルとして大きな効果をもっています。
(鈴木千恵子「色のとりせつ」誠文堂新光社による)
返却ポスト:図書館で借りた本などを返すための箱
事無きを得る:大きな問題にならないで済む

5. 「1」そのこととあるが、そのこととは何か。
郵便ポストに手紙を入れたこと
郵便ポストに図書館の本を入れたこと
図書館の返却ポストに本を入れたこと
図書館の返却ポストに手紙を入れたこと

6. 「2」人は色を見て、過去の記憶が呼び起こされたり、あるものごとを連想することがありますとあるが、筆者の場合、どんな色を見て、何を連想したのか。
赤色を見て、郵便ポストを連想した。
グレーを見て、郵便ポストを連想した。
赤色を見て、図書館の返却ポストを連想した。
グレーを見て、図書館の返却ポズトを連想した。
Answer Key:

Question 1: 3
Question 2: 1
Question 3: 2
Question 4: 4
Question 5: 4
Question 6: 2
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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-22/


問題1

法の下での人間の平等は、憲法でも保障された人間の権利である。しかし現実には、すべての人間や人間活動に平等が保障されているわけではない。社会的・民族的差別の問題は大きい。ここではこうした基本的人権にかかわる問題ではなく、職業、教育や所得に関する平等・不平等問題を論じる。
例えば親の階層(職業や所得)の不利さが子供の学歴達成に支障となることを考えてみよう。親の所得が高くないために、子供が大学進学をあきらめたケースはどうだろうか。奨学金制度が充実しておれば、本人の能力と努力がある限り、大学進学の道は開かれている。わが国の奨学金制度がさほど充実していないことは、アメリカとの比較で明らかである。わが国には機会の不平等は残っているといえる。逆に、アメリカでは機会の平等への執着は強いといえる。もっともわが国においても、国民の所得水準が向上したことによって、親の経済力が原因となって進学できないというケースは以前より減少しており、この問題の不平等性は低下している。
もう一つ例をあげてみよう。企業が新卒者を採用する時に指定校制度というものがある。特定大学の学生のみに受験・面接の機会が与えられ、他の大学生にはその機会がない制度である。企業がこの制度を採用する理由は次の通りである。第一に、入学試験のむずかしい大学や、良い教育をしている大学の学生は、知的活動や生産性の上で優秀な学生という印象がある。第二に、それらの大学の卒業生が、企業で良い成果を上げていることをその企業が知っている。第三に、応募してくるすべての学生を無制限に選考すればコストがかかる。これらを要約すれば、企業にとっては合理的かつ選択のリスクが小さい制度なのである。
ただし、ここで指定校制度の合理性を指摘することによって、「受験戦争」を肯定する気は
ない。(中略)過酷な「受験戦争」には負の側面が多いので、戦争をなくする必要性は高い。
ところで、特定大学以外の学生にとっては、就職試験の機会が最初から排除されているので、機会の不平等と映るかもしれない。確かにその側面があることは否定しえないが、
よく考えるとその人達にも特定の大学の受験の機会が高校生の時にあったわけで、機会の平等が完全に排除されていたとはいえない。実際にその大学を受験したかどうかは問題ではない。しかし高校生にまで企業に指定校制度があることを知っている、と期待するのは酷である。機会の平等をこのように考えてみると、意外に複雑な原理なのである。
機会均等の原理を実施することはそう容易ではないが、理想として常に念頭におかれるべき原理である。すべての意欲のある人には、参加と競争の機会が与えられることが望ましい。教育の機会、仕事の機会、就職の機会、昇進の機会、人生上の様々な活動において多くの人に平等な機会が与えられた末に、参加者が競い合うこととなる。競争の結果勝者と敗者が出ることは仕方のないことだし、勝者にも順位づけが行われることもやむをえない。
(橘木俊詔『日本の経済格差』岩波書店による)
酷である:厳しすぎて無理がある
念頭におく:意識する、考慮する

1. 第2段落の内容と合っているものは、どれか。
日本では親の経済力が高くないために子供が進学できないケースは減ってきている。
日本では親の経済力が高くないために子供が進学できないケースが依然として多い。
アメリカでは機会の平等が重視されるが、奨学金制度は日本ほど充実していない。
アメリカでは機会の平等が日本ほど重視されないが、奨学金制度は充実している。

2. 指定校制度の特徴として、筆者の説明と合うものはどれか。
特定の大学の卒業生だけがその企業で働くようになるため、企業に対して忠実な社員を増やすことができる。
多くの学生の中から選ぷことになるため、企業は入社後すぐに成果を上げられる人を見つけることができる。
特定の大学以外の学生は、応募する際に試験を受けなければならないため、一定の基準以上の人を選ぶことができる。
優秀な学生がいると考えられる大学の学生だけが応募できるため、企業は低いコストで適当な人を選ぶことができる。

3. その人達とは、どのような人を指しているか。
大学受験をしなかった高校生
企業の採用試験に応募してくるすべての学生
企業が受験・面接の機会を与えていない大学の学生
企業が受験・面接の機会を与えている特定大学の学生

4. 高校の段階にまでさかのぼって考えた場合、指定校制度と機会の平等について筆者はどのように評価しているか。
高校生が指定校制度がなくなることを期待するはずがないから、機会の不平等はそれほど大きな問題ではない。
高校生は指定校制度があることを知ったうえで大学を受験しているのだから、機会の不平等はそれほど大きな問題ではない。
どんな高校生でも指定校の大学を受験することはできるが、すべての受験生が合格できるわけではないから、機会が平等であるとは言いきれない。
どんな高校生でも指定校の大学を受験することはできるが、指定校制度の存在はほとんど知らないだろうから、機会が平等であるとは言いきれない。

5. 筆者がこの文章で最も言いたいことは、どれか。
すべての人間活動に平等が保障されているわけではないが、法の下での人間の平等は憲法でも保障された人間の基本的な権利であり、尊重されるべきである。
日本では、国民の所得水準が向上したことにより、職業、教育や所得に関する不平等の問題は減ってきたが、社会的・民族的差別の問題が大きくなっている。
機会の平等は複雑で実践の難しい原理だが、職業や教育に関する活動においてすべての人に平等な機会が与えられるべきであることを忘れてはならない。
現代社会は基本的に競争社会であるから、競争の結果、勝者と敗者に分かれ、勝者にも順位がつけられることはやむをえない。

問題2

コンピュータ化の進行とともに、記憶力の身ならず、計算力とか、情報整理力とか、いくつもの脳の雑用と思われている作業を電脳に負わせるようになった。肉体労働だけでなく、精神労働の負担からも人間を解放し、持てる力をなるべく創造的な仕事に振り向けようというのだろう。しかし、創造力とは何だろう。記憶力や情報整理力など脳の基礎体力の上に成り立つもののような気がしてならないのだ。
(米原万里「心臓に毛が生えている理由」による)

6. この文章で筆者が最も言いたいことは何か。
コンピュータ化の進行が、人間と肉体労働から解放する。
コンピュータ化の進行とともに、脳の基礎体力を失うことになる。
コンピュータに任せている脳の雑用こそが、創造力の土台になる。
コンピュータによる精神労働からの解放が、人間を創造的にする。

Answer Key:

Question 1: 1
Question 2: 4
Question 3: 3
Question 4: 4
Question 5: 3
Question 6: 3
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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-23/

問題1


子どもの昆虫採集について、生命尊重や希少種保護の観点からの批判的な意見が聞かれる。これに対しては、子どもが採集する数など微々たるものなのだから、自然と触れ合うことのメリットを重視すべきだという反論もある。
確かに幼少期の自然体験は自然観の形成に必要ではあるが、実際に子どもの昆虫採集の様子を見ると、子どもが魅力を感じているのは捕獲の瞬間だけだ。子どもの興味に任せるだけではただの遊びにしかならない。そのため、昆虫採集をより有意義な体験にするには、大人からの働きかけが必要だ。昆虫の体や生態を見て知る姿勢を教え、子どもが種の多様性に気づくようにすることが大切だ。

虫取りに夢中になって時間を忘れてしまう子や自分のつかまえたバッタに見入ってしまう子は、もうその活動の中にその子どものよさや可能性が秘められている。「どこがおもしろいの」と訊ねれば、彼らは根拠を持って今自分が価値を持って見つめているものについて答えてくれるだろう。彼らの学びは、もうすでに始まっているのだ。
学びを通して、自然に対し自分なりの意味を構築していく中で「生命観」も「自然観」も進化していく。それに伴って、「生命愛護」「自然環境との共存」という心情も深化していくものだろう。(中略)そのように考えるとき、自然に対して自分なりの意味を見いだせるかということ、実感を伴った理解が行われるかということを抜きにして、「生命愛護」も「自然環境との共生」も語ることはできないだろう。
(角屋重樹・森本信也編著『小学校理科教育はこう変わる――ニューサイエンスを求めて』による)
バッタ:昆虫の一種

1. 子どもが昆虫をつかまえることについて、AとBはどのように考えているか。
Aは観察する姿勢を身につけさせれば有益になると考え、Bは実感を伴った自然の理解に役立つと考えている。
Aは子どもの興味に任せるだけでは十分ではないと考え、Bは興味を持った子どもには積極的に勧めたほうがいいと考えている。
Aは自然を知るきっかけにはならないと考え、Bは子どものよさや可能性を伸ばすきっかけになると考えている。
Aは種の多様性を知る上で重要だと考え、Bは成長過程において欠かせない経験だと考えている。

2. AとBの認識で共通していることは何か。
子どもの成長過程で、自然保護に対する心情が深められていく。
子ども時代の自然との触れ合いを通した学びが自然観の基礎になる。
子どもの自発的な体験や学びだけでは自然観の形成には十分ではない。
自然体験が多い子どものほうが、自然保護の精神が強くなるわけではない。

問題2

類人猿の四足歩行と人間の二足歩行を比べると、時速四キロメートルくらいの速度で歩くと、二足歩行のほうがエネルギー効率がいい。しかも長く歩けば歩くほどエネルギーの節約率が高くなる。すなわち、初期の人類は長い距離をゆっくりした速度で歩く必要性に迫られて、直立二足歩行を採用したと考えられるのだ。これは初期の人類が徐々に熱帯雨林を出ようとしていたこととぴったり符合する。熱帯雨林の外では果実が散在していて、広い範囲を探し回る必要がある。これを可能にする歩行様式として、二足で歩くことが有利になった可能性がある。
しかし、長距離を歩くことになると群れの全員がまとまって移動するのは困難になる。子供や身重の女性、老人など速い速度で長距離を歩くことが難しい仲間がいる。そのため、体力のある男たちが少数のグループを組み、広く歩き回って食物を集め、それを女や子供たちのもとへ持ち帰って一緒に食べたのではないかと思われるのだ。これが食物共有仮説である。だが、サバンナへ出たサルたちは二足にならなかった。なぜ人間だけがなかったのか。それは、サバンナへ出たパタスザルやアヌビスヒヒ、マントヒヒたちはオスがメスより格段に大きくなり、長い犬歯を発達させて群れの防御をするようになったからである。しかも胃腸の強い彼らは人類ほど広い範囲を歩き回って食物を探す必要はなかった。一方、人類の祖先は男が大きくなるところか、性差が小さく、犬歯も縮小して武器としては使えなくなっている。これは人類の男たちが捕食動物と戦うよりも、その目を避けながら食物を探し歩いていたことを物語っている。
(朝倉敏夫編『火と食』による)

3. 筆者によると、人類が二足歩行を採用したのはなぜか。
広い範囲を長く歩き続けられるから。
広い範囲を時間をかけずに移動できるから。
遠くまで見渡しながら歩けるから。
必要に応じて速度を変えながら歩けるから。

4. 群れの行動は、二足歩行によってどのように変化したと考えられるか。
移動が困難な者がグループを組み、ゆっくり食物を探し歩くようになった。
移動が困難な者を体力のある者が助けながら、共に食物を探しようになった。
体力のある者のグループができ、その中で食物を共有するようになった。
体力のある者のグレープができ、移動が困難な者に食物を分け与えるようになった。

5. 人類の祖先について、筆者の考えに合うのはどれか。
男たちが身体をより大きく見せて群れを防御していた。
男たちが捕食動物との遭遇を避けながら食物を探し回っていた。
男たちが捕食動物からできるだけ遠くへ逃げて身を守っていた。
男たちが武器を持って群れを防御しながら食物を探し回っていた。

問題3

グーテンベルクの活版印刷革命から約500年、今世紀、デジタル技術による情報爆発の時代が始まった。だれもが発信者になるインターネット世界で、すでに情報は飽和している。すると、「いかに蓄積された情報を統合的に再利用するか」がキーになる。大量に蓄積された情報の中から、重要なものを発掘して新たな創造に結びつけていく技術。それは古代から書物を大量に蓄積し、索引検索によって利用できるようにしてきた図書館の基本システムそのものだ。図書館は、私たちが思っているよりはるかに未来的なものだ。
(朝日新聞グロープ2013年8月18日付による)
キー:ここでは、重要な点

6. 未来的とあるが、どのような点が未来的なのか。
インターネット世界よりも情報を検索する仕組みが優れている点
インターネット世界と同様に情報の蓄積と検索の仕組みがある点
インターネット世界と同様にだれもが自由自在に情報を検索できる点
インターネット世界では見られない古代からの情報を蓄積している点

Answer Key:

Question 1: 1
Question 2: 2
Question 3: 1
Question 4: 4
Question 5: 2
Question 6: 2
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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-24/

問題1

以下は、ある日本企業の経営者が書いた文章です。
現状維持でいい。そう思ったとたん、進歩は止まる。外の世界では、絶え間ない進化と発展が続いている。何もせずに同じところにとどまっているのは、じつは最大のリスクなのである。この国にもう、安全、安心、安定はない。自分は人生をどうしたいのか、会社をどう変えたいのか、この国をどうすべきか…一人ひとりが日本の置かれた現実を直視しながら、志高く毎日を真剣に生きない限り、未来も変わらない。
そう言うと多くの日本人は反射的に、次のように思うかもしれない。
「どうすればいいか、もっと具体的に教えてほしい」
とりあえず「見本」のようなものがないと、何をやったらよいのか、見当がつかないのだろう。
しかし、それぞれが置かれた状況によって、すべきことが異なるのは当然。ある人にとってはプラスなことが、別の人にとってはマイナスにつながることもあるかもしれない。そもそも私は、ノウハウ本なるものをまったく信用していない。そこに書いてあるのは、過去の成功法則でしかない。それをもとに時代に合致した新しい法則を考えるというのであればまだよいが、過去の成功例をそっくり踏襲して、うまくいくはずがない。いずれにせよ、情報が瞬時に世界を駆け巡るグローバル時代では、そうした成功法則は、あっという間に陳腐化してしまう。
ただし、時代が変化しても普通的に通用する「考え方」というものなら、あるかもしれない。もちろんそれにしても、世の趨勢に影響されないことはない。しかし自らの視点があるかないかで、目の前の風景はまったく変わってくる。
(柳井正『現実を視よ』による)

1. 何もせずに同じところにとどまっているのがリスクなのは、なぜか。
安定や安心を失うから
未来を考えられなくなるから
社会の進歩を止めてしまうから
周囲の進歩から取り残されるから

2. ノウハウ本あるものをまったく信用していないとあるが、なぜか。
過去の成功例から、新しい法則は導き出せないから
過去の成功例から、成功した本人にしか再現できないから
変化の速い現代においては、過去の成功例は役に立たないから
グローバル時代においては、個人の成功例はささいなものだから。

3. 筆者によると、変化する時代を生きていくうえで必要なことは何か。
社会の動きを敏感に察知できること
自身で主体的に世の中をとらえること
世の中の変化を広い視野でとらえること
他者と自身の視点の違いを見つけること

問題2

私には、ひとをほめるクセがある。「ひと」というのは、芸術家諸君のことだ。これは、私の心がひろいからではなく、せまいからである。どうしても、ほめられない相手もあるが、少しでも美点を発見するように努力すれば、たいがいはほめられる。たとえひとを傷つけても、正しい見解を主張するのが、批評の厳格さであろうが、なかなか「1」この原則が守れない。守れないというのは、私の心が狭い、弱いからであろう。やっつけやろうと、攻撃だけを心がけるのも、実に狭いやり方であるが、万事ホドホドに、あたりさわりのないようにというのも、「2」よくないと思う。私は時によると、かつて自分の作品を非難した仲問の作品に対して、ことさら甘い点をつけることがある。これは、
自分をやっつけた相手に対しても、寛大な態度を示したい、つまり自分の心のひろさを証明したいためであり、結局は心のひろさではなくて、心のせまさを暴露していることになる。
(武田察淳「武冊泰淳全集第16巻己による)
あたりさわりのないように:無難に

4. 「1」この原則とは筆者のどのような態度を指すか。
芸術作品の批評をする時、少しでも美点を見つけようと努力する態度。
芸術作品の価値を見極めるため、批評を行う際の厳しさを失わない態度。
芸術作品の批評をする時、作品だけでなく芸術家を決して傷つけない態度。
芸術作品の真の価値にかかわらず、常に厳しい批評や主張で攻撃する態度。

5. 「2」よくないと思うとあるが、筆者は何がよくないと思っているか。
厳密な評価ではなく、甘めの評価を示すこと。
批判されたことがある相手の作品を攻撃すること。
批評において、常に正しいと思う見解を伝えること。
厳しい評価によって、自分の能力の高さを証明すること。

問題3

アメリカの青年男女が日本の青年達より服装に金をかけず、豪華なレストランなどへもあまりいかないのは、18歳以降は親から独立して生活するべきだという社会規範が強く、経済的に貧しいからである。アパート代はアメリカでも高く、独立して生活している青年たちは堅実で、贅沢は中年以降の男女か、あるいは法律家やビジネススクール
出のコンサルタントなど高収入の専門職についている人々である。(中略)
それに対して日本の親がかりの大学生やOLは、自分のアルバイト収入や給料をすべてこづかいとして自由にできるが、いうまでもなくこのような栄華は期限付きである。いつかは親のかわりに扶養してくれる男性、身の回りを世話してくれる女性と結婚しなければならず、とうてい自立しているとはいえない。
(菅原眞理子「新・家族の時代』中央公論新社による)
親がかり:経済的に親に依存していること
OL:会社や事務所で働く女性

6. この文章の内容と合っているものはどれか。
日本には収入があるにもかかわちず、経済面や生活面で親に頼る青年達がいる。
アメリカでは高収入の専門家はたいていビジネススクール出の中高年の男女である。
アメリカでも日本でも若者は経済的に貧しく、アルバイトをして堅実に暮らしている。
日本の青年たちは働いて得た収入をすべて親に渡すので、自立しているとはいえない。
Answer Key:

Question 1: 4
Question 2: 3
Question 3: 2
Question 4: 2
Question 5: 1
Question 6: 1
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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-25/

問題1

以下は、劇を作ることを仕事にしている人が書いた文章である。
僕は「変な人」です。そうでなければ、こんな仕事はしてません。そして僕は「普通の人」です。だからこそこの仕事が成立しています。「特別なもの」を生み出そうとするとき、それがどんなふうに特別なのかを「普通」という視点から見極める必要があります。「特別」と「普通」、定規を何度も持ち替えるのです。そのために自分の中の普通さを死守するのです。
(小林賢太郎『僕がコントや演劇のために考えていること』による)

1. この文章で筆者が述べていることは何か。
「普通」という視点がないと、「特別なもの」は作れない。
「普通の人」が普通のものを作ると、「特別なもの」になる。
「変な人」が普通のものを作ると、「特別なもの」になる。
「変な人」の視点でしか、「特別なもの」は作れない。

問題2

定年に備えた企業の研修資料にく「自分」―「仕事」=?〉とあるのを見て、会社一筋に働いてきた人には厳しい設問だなあ、と思ったことがある。
事実、会社人間だった大阪の友人はこの設問に「ゼロや」と苦笑して、定年後の近況を話す。
「女房が出掛けようとすると、ワシも行くと言うもんやから、すっかり嫌がられてるよ」こういう定年亭主を「恐怖のワシも族」と言うのだそうだが、今やさぞかし「ワシも族」がはびこっていることだろうと思いきや、ニッセイ基礎研究所の「定年前.定年後」という本にこんな調査結果が収められていた。
数字は省くが、仕事に生きがいを持っていた人のほうが、そうでない人より定年後の社会活動にもずっと生きがいを感じているという内容で、要するに、会社人間ほど定年後も意欲的という分析だ。
彼らの社会活動の生きがいは、交友関係の広がりによって生まれているようで、植木職
人になったり、NPOやボランティア、地域活動に携わっている元銀行員をはじめ、多種 多様なケースがいろいろ紹介されている。
以前、あれは有力銀行の支店長であったか、定年退職した途端、年賀状も激減するなど一変した状況に喪失感を覚え、自ら命を絶ったという話を聞いたことがある。
これなどは極端なケースだとしても、く「会社」のために頑張る価値観は、「社会」のために頑張る価値観と合致するかもしれない〉と分析される先の調査結果などは、会社人
間の「その後」に新しい視点をもたらすものだろう。
(近藤勝重「しあわせのトンボ:会社人間の『その後』」2007年11月14日付毎日新聞夕刊による)

2. 筆者の友人が、<「自分」-「仕事」=?>という設問に「ゼロや」と答えたそう だが、それはどのような意味か。
その友人はこれまで一つの仕事しかしてこなかったので、ほかの仕事は全然できないという意味
その友人は仕事一筋に生きてきたので、これからも家族と一緒に何かしようとは考えていないという意味
その友人は生活のすべてを仕事中心に送ってきたので、定年後は何もすることがないという意味
その友人は定年後に生きがいを見つけ、会社生活で得たものはゼロだったと感じているという意味

3. 「1」ワシも族とは、どのような人たちのことか。
奥さんが何かしようとすると、なんでも一緒にしたがる定年後の夫
奥さんばかりでなく、家族の皆からも嫌がられている定年後の父親
会社に出かけて行くよりも、家で奥さんと一緒にいるのが好きな夫
定年退職後、自ら進んで家事や社会活動に積極的に参加したがる夫

4. 「2」新しい視点をもたらすとは、どのようなことか。
退職後には多種多様な仕事の選択肢があるから明るいと感じること
会社中心に過ごしてきた人ほど、家での仕事に積極的になれること
会社人間ほど定年後の社会活動に意欲的であるととらえられること
定年後に生きがいがない人でも、社会的な活動には期待できること

問題3

今春の新入社員は、労働時間の短縮や休日増よりも賃金やボーナスのアップを会社に期待する人の割合が高くなっていることが22日、社会経済生産性本部(東京)などの調査で分かった。会社に期待することは「賃金やボーナス増」が45.5%(前年比3.8ポイント増)で、「労働時間の短縮と休日増」の39.9%(同3.7ポイント減)を1971年の調査以来、初めて上回った。
(1999年6月23日付中日新聞朝刊による)

5. 文章の内容と合っているものはどれか。
これまでも今年も、労働時間の短縮より、賃金を多くもらうことを重視する社員の方が多い。
これまでも今年も、賃金を多くもらうことより、労働時間の短縮を重視する社員の方が多い。
これまでは、賃金を多くもらうことを重視する新入社員が多かったが、今年は、労働時間の短縮を希望する社員の方が多かった。
これまでは、労働時間の短縮を希望する新入社員が多かったが、今年は、賃金を多くもらうことを重視する社員の方が多かった。

問題4

以下は、ある市役所のホームページに掲載されたお知らせである。
2018年12月1日
スポーツ課
市民運動場の予約について
市民運動場の予約は、これまで管理事務所窓口で受け付けておりましたが、2019年2月1日よりインターネット上の予約システムでも行うことができるようになります。予約システムの利用は平日、土日祝日を問わず24時間可能で、予約は、窓口での予約と同様に、使用日の一か月前から受け付けます。予約システムの利用に際しては、事前に利用者登録が必要となりますので、身分を証明できるものを持って管理事務所窓口にお越しください。
市民運動場管理事務所 〒002-3833南松市中央町3-2中央公園内
(受付時間:月曜日~金曜日9:00~17:00)

6. 市民運動場の予約について、このお知らせは何を知らせているか。
管理事務所窓口での予約受付期間が変更になること
管理事務所窓口で利用者登録をすれば、インターネット上で予約ができるようになること
インターネット上での予約受付時間がこれまでより長くなること
インターネット上の予約システムの導入により、管理事務所窓口での予約ができなくなること

Answer Key:

Question 1: 1
Question 2: 3
Question 3: 1
Question 4: 3
Question 5: 4
Question 6: 2

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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-26/

問題1

以下は、歴史学者について、歴史小説家との比較を中心に書かれた文章である。
歴史学では、史実の究明にはもちろんのこと、新しい歴史像を提示する時にも史料的根拠が必要です。そして、この史料的根拠を基盤とするがゆえに、歴史学者の歴史観は、相互に批判可能なものです。これは、物理や化学といった自然科学の世界で新理論を展開する場合に、その論拠、論理を他の学者にも検証可能な形で提示しなければならないことと同様です。
しかし、小説にこうした論証を求めるのは無理というものです。最近は小説家に歴史研究者同様の姿勢を求める向きもあるようですが、これは筋違いとしか思えません。やはり、歴史研究と歴史小説は、そもそも目的も手段も違うものなもだとしか言いようがないのです。
また、あるいは、次のような話が参考になるでしょうか。
ある時、理学部の天文学の先生に、「どうして彗星や小惑星などの新天体を発見する人には、アマチュアの天文家が多いのですか」と聞いたことがありました。新聞でも報じられるような天体現象の発見に、意外と専門研究者が少ないことが気になっていたからです。
すると、天文学の先生は、「天文学の先端では、彗星などの発見よりは、大きな電波望遠鏡を使って、ある一定の方向から地球に届く宇宙からの電波情報を継続的に受け取り、その数値の分析によって宇宙の大きさを推測したり、宇宙の成り立ちを究明したりしているのです」と教えてくれました。
(中略)
歴史学者と歴史小説家の違いも、これに近いものがあります。歴史小説家を歴史のアマチュアとするつもりはありませんが、同じく歴史を扱いながらも、その立ち位置は違うものだと言えるでしょう。
歴史小説では、誰もがよく知っている人物や事件をとりあげて小説にすることが多いようですが、歴史研究ではむしろ誰も知らないような人物や事件を入り口として史実を究明することがほとんどです。また、政争に誰がいかにして勝ったかというような政治のダイナミックな人間の動きよりは、制度的な政治システムの変遷を追究する方が研究手法としては主流です。そのため、歴史学者が世間一般の歴史ファンを驚かせるような新説を立てる、というようなことは、稀なこととなるのです。
もちろん、天文学者であれば研究機関に属していようが星に無関心でないのと同様に、歴史研究者もメジャーな歴史トピックに関心がないわけではありません。しかし、一見地味な事例研究を積み重ねることによって、それまでの通説を修正する新しい視点が見いだされていくことを、研究者は知っているのです。つまり、一足飛びに通説を覆そうとして、特定の視点から史料を読むような真似は禁物なのです。
(山本博文『歴史をつかむ技法』による)

1. 筆者によると、歴史学と自然科学の共通点は何か。
研究の価値は新説を示すことで認められること。
新説の展開には、学者同士の相互批判が欠かせないこと。
新説の根拠を検証可能な形で示すのは容易ではないこと。
他の学者が検証できるように、新説の根拠を示す必要があること。

2. 天体現象の発見に専門研究者が少ないのは、なぜか。
専門研究者は、新天体の発見には価値がないと考えているから。
専門研究者は、新天体の発見より宇宙そのものの探究を目的としているから。
専門研究者は、アマチュアの天文家との役割分担を意識しているから。
専門研究者は、アマチュアの天文家の発見を集約して宇宙全体を研究しているから。

3. 歴史小説家について、筆者はどのように述べているか。
制度的政治システムを題材としている。
誰も知らない史実を面白く物語にしている。
有名な人物や出来事などを題材としている。
歴史学者が気付かないような視点で書いている。

4. 歴史学者について、筆者はどのように述べているか。
通説を覆すために、新しい史実を発見しようとしている。
通説に惑わされず、特定の視点から歴史をとらえようとしている。
個々の事例研究を踏まえて、史実を明らかにしようとしている。
知られていない史実をとりあげ、人々の歴史認識を改めようとしている。

問題2

快楽を定義すると、「何の役に立つわけでもないが、自分にとって楽しいこと、ラクなこと、気持ちのよいこと」ということになります。「___1___」というのがポイントです。大人になるにしたがって、私たちは「何かのために言動せよ」と要求されること
が圧倒的に多くなってきます。受験のために勉強する、健康のためによりよい食事を摂る、収入を得るために働く、明日のために早く寝る、知識を得るために本を読む…それはそれでとても大切なことですが、いつもいつも「…のため」と目的意識をもって生活するのは、とてもしんどく疲れることです。
(伊藤絵美「自分なりの快楽」「エーゼスト」2001年1月号増進会出版社による)

5. 「___1___」に入るのに最も適切なものはどれか。
ラクである
気持ちがよい
自分にとって楽しい
何の役にも立たない

問題3

親孝行という話をすれば、私はいろんな人に、子供に期待するなよ、ということを言うんですね。なかば冗談なのですが、子供は親孝行なんかする必要ないんだと。なぜかといえば、子供が生まれる前、そして生まれた瞬間、それから六つ七つぐらいまでのあいだに、子供は親に生きる喜びというものを十分与えつくしているのだから、というふうに言うのです。
昔、私の友人でも、生まれる子供の名前を一生懸命に考えて、暇があればノートに書きつけているような男が、おりました。そのことは彼の生きていく上でのひとつの喜びだったと思います。そして子供が生まれる。そのうちに片言でパパ、なんて言ったりする。それから歩くようになる。(中略)幼稚園にはいり、小学校にあがる。子供の誕生から成長の過程のなかで、そのつど両親は言葉につくせないほどの人生の喜びというものをあじわいっくしているんじゃないかと思います。
(五木寛之「人生の目的」による)

6. 筆者の考えと合うものはどれか。
親は子供に親孝行を期待してもよいが、子供が十分成長するまで待うべきであろう。
親は子供が幼い時に愛情を与えつくしたのだから、子供が親孝行するのは自然であろう。
子供は幼いころに親に対して生きる喜びをすでに与えておリ、それが何よりの親孝行であろう。
子供の成長は親にとって生きていく上で喜びだが、子供の側も親が喜ぶように孝行するべきであろう。

Answer Key:

Question 1: 4
Question 2: 2
Question 3: 3
Question 4: 3
Question 5: 4
Question 6: 3
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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-27/

問題1

大人のことばと子どものことばの場合も、大人のことばが「中心」で、子どものことばは「中心」ではありません。だから、普通は、私たちは、「中心」であるところの大人のことばを維持しなければならないと思っており、子どもが何か変わった言い方をしますと、(___1___)。
しかし、その反面、子どものことばというのは、必ずしも全部大人のことばに合わせて直されてしまうわけではありません。それは、ことばというのが、時代とともに変わるということをみればすぐわかることです。「ことばが変わる」という場合、それは世
代から世代への移り変わりで、(2)ずれが起こっているということですし、そのずれというのは、子どものことばに始まったものが、それを直そうとする試みにも関わらず、しきれなくて、それが大人のことばの中に入り込み、言語を変えるのだと考えることができます。こんなふうに考えてきますと、(3)「中心」でないものも、最近のことばを使いますと、文化というものを「活性化」する、つまり、それに活力を与える。そういう意味を持っているものとしてとらえなおすことができるわけです。
(池上嘉彦「ふしぎなことばことばのふしぎ」筑摩書房による)

1. (___1___)に入るものとして最適当なものはどれか。
それはおかしいと言って直すことをやります
それはいいと言って大入の言葉に取り入れます
無理に直そうとしないでしばらく様子を見ます
全く直そうとしないでそのまま放っておきます

2. (2)ずれが起こっているとは、例えばどういうことか。
大人のことばが子どものことばを活性化すること
子どものことばが大人のことばの中に入り込むこと
子どものことばと大人のことばがお互いに活性化しあうこと
大人のことばが子どものことばの中にいつのまにか入り込むこと

3. (3)『中心』でないものとは何を指すか。
昔のことば
大人のことば
子どものことば
世代間のことばのずれ

問題2

以下は、ある映画監督が書いた文章である。
勝負を続けている限りは、負けは確定しない。勝ったり負けたりしながら、人生は続いていく。ただ、勝負を続けていくうちにだんだん勝負勘はついてくるし、くだらない失敗はしなくなってくる。スキルが上がってくるからだ。
映画の話で言えば、僕は映画制作のシステムそのものに、大負けをしない仕掛けを組み込んだ。それは、「1」「他人と仕事する」ということだ。他人という客観性を映画制作の現場に持ち込めば、独りよがりな作品に突っ走ることを彼らが防いでくれる。それに僕は優秀なやっとしか組まないから、僕一人で何も考えるずっと映画の質は高くなるのだ。
勝負を続けていると、思わぬ成果が飛び込んでくることがある。かって負けたと思い込んでいた勝負に、後になって勝ってしまうことがあるのだ。僕の例で言えば、愚直に映画を撮り続けて、ある程度の評価を得るうちに、かってボロクソに言われた作品に光が当たり、再評価されるようなこともある。
(中略)
だから「2」絶対に勝負を諦めてはいけない。ただし、常勝を狙うのは禁物だ。勝負をしなければ勝つことはできないが、必ず勝とう、絶対に失敗しないようにしようと意気込んだら、緊張感や気負いや、そんな余計なものを背負い込んで結果的に負けてします。
(押井守『凡人として生きるということ』による)

4. 「1」「他人と仕事する」ことの利点について、筆者はどのように述べているか。
負けた責任を一人で背負わなくて済むため、楽な気持ちで作品が作れる。
思い込みによる失敗がなくなり、誰にでも受け入れられる作品が作れる。
仕事の負担が減り、作品の質を高めることに集中できる。
作品の客観性が保たれる上に、質も上がられる。

5. 「2」絶対に勝負を謙めてはいけないとあるが、なぜか。
後で作品の価値が認められることがあるから。
よい作品は必ず評価されるものだから。
どんな勝負にも得るものがあるから。
勝負に慣れて緊張しなくなるから。

6. 筆者によると、勝負を続ける上で気を付けるべき点は何か。
勝負以外のことは考えてはいけない。
勝ち負けにこだわってはいけない。
いつも勝とうと思ってはいけない。
負ける自分を想像してはいけない。

Answer Key:

Question 1: 1
Question 2: 2
Question 3: 3
Question 4: 4
Question 5: 1
Question 6: 3
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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-28/

世間では、いま、表現教育ということが盛んに叫ばれている。子供たちに、どうにかして、「豊かな表現力」「誰とでも話せるコミュニケーション能力」を身につけさせようと、親も教師も躍起になっている。子供の方から見れば、表現を強要されているとさえ言える「1」状況だ。
だがどうも、教える側も、子供たちの方も、「表現」ということを無前提に考えすぎていないか?
いや、いったい、何をそんなに伝えたいというのか?
私はここ数年、演劇のワークショップ(体験型の演劇教室)を、年間で百コマ以上、全国で繰り返して開催してきた。教育の門外漢に、このような依頼が殺到するのも、表教育隆盛の一つの現れであろうか。
ただ、私が、そういった場で子供たちに感じ取ってもらいたいことは、表現の技術よりも、「2」「他者と出会うことの難しさ」だった。どうすればコミュニケーション能力が高まるかではなく、自分の言葉は他者に通じないという痛切な経験を、まず第一にしてもちいたいと考えてきた。
高校演劇の指導などで全国を回っているといつも感じるのは、生徒創作の作品のそのいずれもが、自分の主張が他者に「伝わる」ということを前提として書かれている点だ。
私は、創作を志す若い世代に、「3」演劇を創るということは、ラブレタ-を書くようなものだと説明する。「俺は、おまえのことがこんなに好きなのに、おまえはどうして俺のことが分かってくれないんだ」という地点から、私たちの表現は出発する。分かり合えるのなら、ラブレターなんて書く必要はないではないか。
日本はもともと、流動性の低い社会のなかで、「分かり合う文化」を形成してきた。誰もが知り合いで、同じような価値観を持っているのならば、お互いがお互いの気持ちを察知して、小さな共同体がうまくやっていくための言葉が発達するのは当然のことだ。それは日本文化の特徴であり、それ自体は、卑下すべきことではない。
明治以降の近代化の過程も、価値観を多様化するというよりは、大きな国家目標に従って、価値観を一つにまとめる方向が重視され、教育も社会制度も、「4」このようにプログラミングされてきた。均質化した社会は、短期間での近代化には好条件だ。日本は明治の近代化と、戦後復興という二つの奇跡を成し遂げた。
しかし、私たちはすでに大きな国家目標を失い、個人はそれぞれの価値観で生き方を決定しなければならない時代に突入している。このような社会では、価値観を一つに統一することよりも、異なる価値観を、異なったままにしながら、その価値観を摺り合わせ、いかにうまく共同体を運営していくかが重要な課題となってくる。
いま、あらゆる局面で、「5」コミュニケーション能力が重視されるのは、ここに原因がある。「分かり合う文化」から、「説明し合う文化」への転換を図ろうということだろう。だが、ここに一つの落とし穴がある。
表現どは、単なる技術のことではない。闇雲にスピーチの練習を繰り返しても、自己表現がうまくなるわけではない。
自己と他者とが決定的に異なっている。人は一人ひとり、異なる価値観を持ち、異なる生活習慣を持ち、異なる言葉を話しているということを、痛みを伴う形で記憶している者だけが、本当の表現の領域に踏み込めるのだ。
(平田オリザ「緩やかなきずな9」2001年6月27日付毎日新聞朝刊による)

1. 「1」状況とあるが、筆者は今どんな状況だと言っているか。
親や教師が子供に無理に表現させようとはしない状況
親や教師が子供に相互理解の重要性を教えようとしている状況
親や教師が子供にとにかく何かを表現させようとしている状況
親や教師が子供に表現することの難しさを教えようとしている状況

2. 「2」他者と出会うことの難しさとあるが、何を指しているか。
表現の技術を高めることの難しさ
言葉の通じない国で交流する難しさ
本当の心の友と出会うことの難しさ
言いたいことを相手に伝える難しさ

3. 「3」演劇を創るということは、ラブレターを書くようなものだとあるが、どのような意味か。
お互いに分かり合えることを前提にして、演劇を創り上げるべきだ。
相手に自分の主張が通じないことを前提に、演劇を創り上げるべきだ。
恋人に自分の愛情を表現するのと同じ気持ちで、演劇を創り上げるべきだ。
相手に気持ちを伝える技術を磨くことを目的に、演劇を創り上げるべきだ。

4. 「4」そのようにとあるが、どのような意味か。
個人が生き方を選択できるように
誰もが同じような表現能力を持てるように
存在する異なった価値観が共存するように
国家の目標に合う価値観にまとまるように

5. 「5」コミュニケーション能力が重視されるのは、ここに原因があるとあるが、その原因とは何か。
私たちの心の中には、自分の主張が他者に伝わることはないと考えてしまう傾向があるから
異なった価値観がぶつかり合う時、どちらの価 値観が優れているか、明確に示さなければならないから
現在は、個人がそれぞれ生き方を決定する必要があり、異なる価値観をうまく共存させることが必要だから
現在は、国家的な目標がなくなり、共同体としてまとまりを保つために、表現技術に優れた指導者が必要だから

6. 現在の日本の社会について、筆者が述べていることと合っているものはどれか。
「分かり合う文化」から「説明し合う文化」へと向かう途上にある。
「分かり合う文化」と「説明し合う文化」がうまく共存し始めている。
すでに「分かり合う文化」から「説 明し合う文化」への転換を成し遂げたと言える。
「分かり合う文化」は今も日本文化の特徴で、人々の価値観は基本的に同じである。

7. 筆者は、自己表現がうまくなるには、どんなことが条件になると言っているか。
相手に自分の言葉が伝わらなかったというつらい経験を持つこと
自分の主張が相手に伝わるようにスピーチの練習を何回もすること
外国で暮らしたり、外国語を勉強したりした経験を持っていること
自分と相手の気持ちがお互いに分かり合えた経験をたくさん持つこと


Answer Key:

Question 1: 4
Question 2: 3
Question 3: 2
Question 4: 4
Question 5: 3
Question 6: 1
Question 7: 1
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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-29/

問題1

A
子どもたちが社会全般のあらゆる分野に関心を向けようとするとき、まんがはその垣根を低くしてくれる。これは、まんがというメディアの強みだと思う。気軽に手にしたマンガをきっかけに、知的好奇心が刺激されたりすることもあるだろう。正味15分たらずの休み時間、まんがの世界に入り込んでいた子どもたちの横顔を思い出す。まんがならではの魅力があることも確かだ。魅力は堪能してほしいし、強みは学校図書館活性化に利用したい。
まだ人生の入り口ともいえる小学生。彼らを多様なメディアの魅力に出会わせたいという思いと、学校図書館が彼らにとって魅力的な場所であってほしいという思いがある。だから小学校でも(制約は多くても)選書のアンテナはマンガにもはっておいてほしいと、職を離れたいまも思っているのである。
(若葉千佳子『子供の本棚』2007年12月号による)
B
マンガを他の本と区別して考える方向は間違っているといえる。マンガを図書館に置くことによって、子どもは勉強しなくなるという神話から決別すべきである。学校図書館としては、絵本や写真集、童話や物語などの本の読み方を教えるように、マンガやアニメについてもその見方や特性を教えなくてはならないし、そのことを通して適切な学習資料を適切な場面で活用するようになると思われる。
(中略)
学校図書館の担当者は、図書購入に際して、直接学習に役立つ図書だけを購入するのではなく、長い目で見て子どもたちの学習や人格形成に役立つ図書も購入するゆとりを持つことが大切である。
(渡部康夫『現代の図書館』第192号による)

1. 漫画について、AとBはどのように述べているか。
AもBも、子どもにとって魅力的なメディアだと述べている。
AもBも、子どもの学習の妨げになるという考えは間違いだと述べている。
Aは子どもの知識を深めるのに役立つと述べ、Bは学習資料などとして活用できると述べている。
Aは子どもの関心を広げるきっかけになると述べ、Bは見方や特性を教えれば子どものためになると述べている。

2. 学校図書館に漫画を置くことについて、AとBはどのように述べているか。
AもBも、他の本と同じように選択肢に含めたほうがよいと述べている。
AもBも、図書館が魅力的な場所になるのでよいと述べている。
Aは図書館の活性化につながるのでよいと述べ、Bは直接学習に役立つものならよいと述べている。
Aは図書の選択は慎重にならざるをえないと述べ、Bは長期的な視点で検討すべきだと述べている。

問題2

人称代名詞われ(私)の複数は
われわれ(私たち)だと通常考えられている。多くの場合それでいいのだし、実際にもそういうふうに使われている。けれども、われわれ
がいつでも必ずわれの複数といえるかとなると、そうとばかりはいえないだろう。自分を含んだ複数の人間をひとまとめにしてわれわれというとき、ことわるまでもなくそのわれわれのなかで自分と他の人々とは、なんらかの意味で親和的な間柄にある。たとえばグル-プ、学校、会社、党派、家、国など、性格や規模こそちがえ、一つの同じ集団に属していて、心の、あるいは利害の上で互いに結びついていることが前提になっているわけだ。しかしこの場合、自分と他の人々とは、それぞれの集団の外部に対しては同一の集団に属するものとして結びつきをもっているにしても、それぞれの集団内部を考えてみれば、「1」自分と他の人々との間柄が対立を含んでいないとはいえない。自分によって近い集団から遠い集団へ、自分を含む小さいな集団から大きな集団へという方向で、一般的には集団内部の自他の対立は大きいが、たとえ小さな身近な集団のなかでも自他の対立はなくなるわけではない。それどころか、ときには近親憎悪と呼ばれるような、近い間柄であることがかえって激しい憎しみを相互に惹き起こすことさえあるのだ。このようなわけで、集団内部の自他の対立を問題にし出すと、「2」われわれということは簡単にはいえなくなる。もっといえば、ありえないことになる。つまり、「___3___」、そこにあるのはつねにただ自己と他者たちだ、ということになるのである。
(中村雄二郎「哲学の現在」による)

3. 「1」自分と他の人々との間柄が対立を含んでいないとはいえないという筆者の考えから言えることはどれか。
他の集団に属する人間とは、親和的な間柄になることは難しい。
同じ利害で結びついていない人間同士には、対立関係が生じやすい。
身近な関係以外の人間には、激しい憎しみを持たないとはいえない。
同一の集団にいる身近な人間との間でも、親和的になるとは限らない。

4. 「2」われわれということは簡単にはいえなくなるのはなぜか。
一つの集団の中で、心や利害の上で互いに結びついているという関係はあまりないから
一つの集団の中で、複数の人間が互いに憎しみを持っているということは考えられないから
どんなに共通点の多い集団でも、その構成員が全く同じ考えを持つことは許されていないから
どんなに共通点の多い集団でも、複数の人間が全く同じ考えを持っていることはありえないから

5. 「___3___」に入る最も適当な文はどれか。
われには複数はない
われは単純ではない
われはわれわれと同義である
われとわれわれは対立している

問題3

「できる人のモノサシ」は、ごく一部であるエリートにしか通用しません。でも大多数に属している平凡な自分がもつ「ふつうのモノサシ」は、世の中の多くの人に通用するモノサシです。その「ふつうのモノサシ」からこそ、多くの人に共感されるヒット商品が生み出せると思うのです。
自分は平凡だとか、つまらない人間だと思っている人にこそ、「売れる発想」がわき、「売れるシナリオ」が組み立てられ、「売れる商品」をつくれるのではないか。私はそんなふうに考えています。

6. 「売れる商品」をつくれるとあるが、なぜか。
平凡な人は自身のモノサシを大多数の人に合わせて変えられるから
平凡な人は自身のモノサシが世の中に通用すると理解しているから
平凡な人はエリートより独創的なモノサシをもっているから
平凡な人は大多数の人に受け入れられるモノサシをもっているから

Answer Key:

Question 1: 4
Question 2: 1
Question 3: 4
Question 4: 1
Question 5: 1
Question 6: 4

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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-30/

問題1

大人になっても、味覚は変わり続ける。二十代の血気盛んな頃、すき焼き鍋などを囲む と、肉ばかり食べている私を見て、「私たちはもう沢山。年をとると、キノコや野菜が一番おいしい」などと半ば私を、半ば自分自身を諭すかのように言う年長者がいた。なるほど、私も、最近では肉の味のしみた野菜やキノコがおいしい。一方で、肉も相変わらず食 ベる。年長者だって、肉を食べなくなるわけではない。
(茂木健一郎『食のクオリア』による)

1. 食べることに関して筆者はどのように感じているか。
若い時肉が好きでよく食べた人も、年をとると食べ物の好みが変わる。
人は年齢を重ねるにつれて、野菜も肉も食べる量が少なくなってくる。
二十代の頃は肉よりも味のしみたキノコや野菜を好んで食べる人が多い。
年長者は肉と野菜を片寄りなく半分ずつ食べたほうがいいと思っている。

問題2

克服することが難しい障壁があるときに、当初の目標の達成を断念して、その代りに、もとの目標と類似した他の目標を達成することによって、要求の充足をはかることを代償行動という。テニスが雨のためできなくなるとピンポンをしたり、A社に入社できなかった学生が、それと同じ系統のB社に入社して満足するようなものである。A子との恋が実らなかったので、A子にどことなく似たところのあるB子と親しくなったというのも同じである。以上のようなときBはAに対して「1」代償価をもつという。BがAに比べて達成するのが非常に容易であったり、価値的に低いものであれば、Bを達成してもAに対する代償にはならない。BがAに類似し、Bを得ることの困難度が、Aを得ることの困難度よりも大きいか、違いがないときに代償価は大となる。つまり「___2___」気持ちになるのである。
しかし代償行動はいつでも生ずるものではない。当初の目標を指向する要求が強く切実な場合には代償行動による満足は生じがたい。ただの遊び相手ならそれを失ってもほかのものにようて代償満足が得られても、真剣な恋の場合にはほかの人では代えられないのである。「3」ほかの人で代わりになるような関係であれば、本当に好きとはいえないのである。
(詫摩武俊『好きと嫌いの心理学』講談社による)

2. 「1」代償価をもつ を表している発話の例として最も適当なものはどれか。
「本当はあっちが欲しかったんだけど、ちょっと手が出ないな。しかたがない、こっちで我慢しとこうか。これもけっこういいね。」
「本当はあっちが欲しかったんだけど、こっちでもいいかと思って、こっちにしちゃった。でも、これじゃ、やっぱりだめだね。」たんだ。よかったよ、待っていて。」
「本当にあっちが欲しかったので、他のものには目もくれずに、ずっと我慢していたんだ。よかったよ、待っていて。」
「本当はあっちが欲しかったんだけど、実はこっちにも目をつけていたんだ。どっちも手に入るとはね。」

3. 「___2___」に入るものはどれか。
Bを得たことでAを失ったような
Aを得たことでBを失ったような
Aを得たことでBを得たような
Bを得たことでAを得たような

4. 「3」ほかの人でも代わりになるような関係 とはどんな関係か。
本文中では「ほかの人で代わりになるような関係」となっていましたが、正答を導き出すためには影響はありません。
代償行動の要求を強く持つ関係
代償行動では満足できない関係
代償行動で満足できる関係
代償行動に至らない関係

問題3

情報化社会となると、すべての仕事が机の上でできるようになって、3K(キツイ・キタナイ・キケン)の仕事がなくなるような幻想がふりまかれていますが、それは間違いです。確かに、毎日会社や学校に行かなくても仕事や学習ができる部分はあるでしょう。しかし、パソコンを作る人、それを運ぶ人、運ぶ道路(トラック)や鉄道(貨車)を作り整備する人、その資材を作る人、その原料を掘り出す人…と、パソコンーつをとっても多数の入々の労働の結晶なのです・その労働自身は・決してなくなることはありません。私たちの生活の中で必要とする、食べ物も住宅も着物も電気も、あらゆるものに労働が必要なのも確かです。情報革命は、通信の手段の革命であって、生活や労働を変える革命ではないことを、しっかりと押さえておく必要があると思います。
(池内了『科学の考え方・学び方』岩波書店による)
幻想がふりまかれている:夢のような非現実的な話が広まっている

5. 筆者は「情報化社会」をどのような社会と考えているか。
情報革命と同時に生活や労働が大きく変わる社会
通信手段は便利でも多くの人の労働が必要な社会
仕事や学習のために会社や学校が必要でなくなる社会
通信手段が発達し、危険で汚い仕事がなくなった社会

問題4

教師=話す人、生徒=聞く人という構造が知らず知らずのうちに教室空間にできあがり、そして固定化してしまうのは恐ろしいことではないかと思う。教師が先取りしてしまうことで、生徒が自分自身で考え、解決しようとする芽をつみとってしまう場合がある。いつも話し続けるのがコミュニケーションでない。教師側が沈黙し、「待つ」という行為も時には大切であろう。もう少し話したい、と思うところで一歩ひいてみることで、相手が言おうとすることを引き出すことができるのである。
(徳井厚子『日本語教師の「衣」再考―多文化共生への課題』による)

6. 筆者の考えに合うのはどれか。
教師と生徒が自由に発言し合うことも必要だ。
教師は生徒の考えを想像するべきだ。
教師は生徒の発言を待つことも必要だ。
教師は生徒に沈黙の時間を与えないようにすべきだ。

Answer Key:

Question 1: 1
Question 2: 1
Question 3: 4
Question 4: 3
Question 5: 2
Question 6: 3
 

 
 

 
https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-31/

問題1

山の風景画は、世の中にいくらでもある。日本画にしろ洋画にしろ、古今東西あまたの画家たちが、その題材に「山」を選んでいる。モチーフとしての山の意味するものはさまざまだろうが、個人的にはそれらに興味を惹かれることはなかった。
なぜか。
一般的な登山者が山を眺めたときの感慨は、おおむね似かよっている。それは、雄大さ、峻厳さ、あるいは優しさといったステレオタイプな観点から山を賛美し、その風景を自分の心の展示箱に納めて「いい思い出」にしてしまう。そして、山岳画や山岳写真の作家たちの多くもまた、似たようなイメージを印画紙やカンバスなどに再現して、狭い市場の中で再生産している例が少なくない。
だが、山に登る者の心に刻印される山の風景は本来限定的なものではなく、確定しえない動的な現象として記憶されてもよいのではないだろうか。見る者の心の中定着される山のイメージは、そしてその表現は、もっと多様であるべきだろう。
つねに転変を繰り返す「海」に対して、動かざるものの象徴として、「山」が引き合いに出されることもある。はたしてほんとうに山は動かないのか。
(中略)
一登山者としてこう思う。山は動いている、と。それは、地殻変動や火山の噴火など大規模なものだけではない。遠目には同じように見えても、風に吹かれて砂塵は舞い、山腹を覆う植物たちは陽光を浴びて茂り、渓流はその谷の深さを日々深く削り、刻一刻と変化し続けている。そういった微細な物理的変貌、小さい生命たちの死滅と再生が瞬時も止まることのない現場が、「山」なのである。
都市風景は近代以降多様な都市論の対象となってきたが、本来、多様性に富んでいるはずの山という場所を表現するイメージが、なぜこれほどまでに単一的なのか。
それは、山というつねに転変する自然から、都市部の生活者の生活が乖離してしまったことに、原因を求めることができるかもしれない。山の変化に気づくほど山を観測していないから、その変化にも気づかない。
何十年も山で暮らしてきたような画家でさえも、その表現は先述した域を出ることは稀だ。思うに、そういった者は都市生活者とは反対に、表現への憧れが先に立ち、山の実相を表現しえていないのかもしれない。
(志水哲也編『山と私の対話』による)

1. 個人的にはそれらに興味を惹かれることはなかったとあるが、なぜか。
型にはまった見方で描かれた山の絵が多いから。
一般的な登山者の視点で描かれた山の絵ではないから。
思い出として残すために描かれた山の絵しかないから。
自分の心の中にある風景と似たような山の絵ばかりだから。

2. 筆者は山をどのようにとらえているか。
山の変化は小さくても、心に残る感動は大きい。
山は同じように見えても、それぞれの個性がある。
山は一見変わらないようでも、変化しつづけている。
同じ山に登っても、山から受ける印象は毎回異なる。

3. 都市生活者と、何十年も山で暮らしてきたような画家について、筆者はどのように述べているか。
いずれも山への憧れが強い。
いずれも山への興味が失われている。
いずれも山の見方が変化してきている。
いずれも山のイメージが固定化している。

4. 山の風景画について、筆者はどのように考えているか。
山の姿を描くためには、その山の特徴を強調すべきだ。
山を多様に描くためには、画家は個性を発揮すべきだ。
山への思いは皆違うのだから、その表現も自由であるべきだ。
山の姿は単一ではないのだから、その表現も多様であるべきだ。

問題2

人と人とのコミュニケーションが希薄化していると言われる今日、それを如何に円滑に、如何に真意を外さずに行うかは、誰にとっても大きな課題だ。
時に人は「力」によって他者を動かそうとする。あるいは「経済力」が人を動かす手段ともなる。企業という組織では、「役職=ポジション」を使って人を動かすケースも多い。だがそういった「上意下達」「弱肉強食」のコミュニケーションでは、人は本質的な満足は得られない。人が人である所以は、力対力の拮抗ではなく、他者との「共感」によって「動く」「動かす」ことができる点にある。
(佐渡裕・辻秀一『感じて動く』による)

5. 筆者の考えに合うのはどれか。
企業では「共感」によるコミュニケーションで人を動かしている。
企業では「役職」を使って人を動かすことも考えるべきだ。
人は本質的な満足が得られると確信しない限り動かない。
人は「力」より「共感」によって動こうとする。

問題3

我々は裸の眼でものを見ているように思っているが、実際そうではない。我々は、常識という色眼鏡でものを見ている。そして、常識を作ったのは、過去の偉大な人間であり、その偉大な人間はある学問や芸術を創り出し、そして、新しく世界を見る眼を我々に教えた。その眼が歴史的に我々に伝承され、我々はその眼でもって、ものを見、しかも裸の眼でものを見ていると思っている。しかし、一つの眼である限り、それは世界を歪んで見ているのである。その眼からはどうしても見えない何かがあるのである。
(梅原猛『饗宴―梅原猛随想と対話』による)

6. この文章で筆者が述べていることは何か。
我々は裸の眼でものを見ている限り、世界のすべてを見ることはできない。
我々は過去の偉大な人間と同じ見方で世界を見ていると思い込んでいる。
我々は常識に縛られているために、見えるものが限られている。
我々は常識という色眼鏡を外して裸の眼で世界を見るべきだ。


Answer Key:

Question 1: 1
Question 2: 3
Question 3: 4
Question 4: 4
Question 5: 4
Question 6: 3
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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-32/

問題1

現代は、「発明は必要の母」となった時代である。あるものが発明されると、企業はさまざまな余分の機能をあたかも必要不可欠とばかり付加して製品を売り込もうとし、人々はその機能がいかにも前から必要であったかのごとく錯覚して購入するからだ。発明が欲望を刺激し、欲望が人々を消費に走らせ、消費が新たな必要性という幻想を生み出すのである。その結果、本来必要でなかったものにまで飢餓感を募らせ、無限に便利さを追い求めるという悪循環に陥る。このように企業の戦略と人々の欲望が結びついて、ひたすら「幸福」を求めようとする構造が「1」現代という時代を象徴している。ケータイがその典型である。
そんな時代に「幸福」を考えるとすれば、この欲望の連鎖をどこかで断ち切るより仕方がない。いや、発明というような新技術には目を向けず、むしろそれらと縁を切って積極的に時代遅れになるということに「幸福」は求められるのではないだろうか。テレビは置かずにCDでモーツァルトや落語を聞き、パソコンはインターネットに手を出さずワープロ機能だけにする。クルマは持たずに公共交通機関のみを使う。ケータイは家族にしか番号を知らせない。欲望を他者との関係に求めず、自分の内部からの声を汲み上げ、何かを創り出すことのみに時間を使う、そんな生活にこそ「幸福」がありそうな気がする。
むろん、そんな修道僧のような生き方は現代では「2」不可能である。電子メールでは誰とでも簡単につながって対話できる。インターネットで買い物をし、ブログで自分の意見が自由に出せるのは新しいテクノロジーがあってこそである。テレビからの情報は日常会話に欠かせないし、電話での長話も楽しい。クルマがあればいつでも好きな場所に行ける。パソコンもテレビもケータイもクルマもない生活は考えられず、これら文明の利器は私たちを誘引して止まないのだ。「3」そこに「幸福」はないと実は誰もが知っていても、便利さと効率性を棄てきれないのも私たちなのである。
とすると、どこかで妥協することを考えねばならない。断ち切るところと利用するところを使い分けるのである。私のやり方は比較的単純で、余分な機器を持たず、持っても時間を区切るか場所を限るかして欲望を抑制することだ。
(中略)
そのようにして生み出された時間を自分のために使うのだ。それが私の「幸福」への接近法なのである。
(池内了『生きのびるための科学』による)

1. 「1」現代という時代とは、どのような時代だと筆者は述べているか。
人々が必要性を感じているものを、企業がすぐに察知し製品化している。
人々の購買欲にこたえるために、企業が必要以上のものを開発している。
企業の多くの発明によって、人々の便利な生活が支えられている。
企業が次々に新製品を売り込むことで、人々の欲望が膨れ上がっている。

2. 「2」不可能であるとあるが、なぜか。
人は外部の情報なしでは生きられないものだから。
人は他者とのつながりを棄てきれないものだから。
人は不便で手間のかかる生活に戻れなくなっているから。
人は新しいテクノロジーがよいものだと思い込んでいるから。

3. 「3」そことは何を指しているか。
古い機器を棄てられない生活。
便利な機器に囲まれた生活。
新しい機器に頼らない生活。
必要な機器だけを使う生活。

4. 筆者は、どのようにして「幸福」を得ようとしているか。
欲望を抑制して、自身が本当に気に入った機器だけを手に入れる。
機器とのかかわりを制限して得られた時間を、自身のために使う。
便利さや効率性を放棄して、自身が本当に必要なものを見極める。
ものに対する執着心を棄てて、自身のための時間を生み出す。

問題2

「どうすれば、将棋が強くなれますか?」とは、もっともよく聞かれる質問である。
実は、この質問には肝心な言葉が隠されている。それは「努力しないで」という言葉である。つまり「どうすれば努力しないで将棋が強くなれますか」と聞きたいのだ。小さいな子どもが上手に将棋を指せば、大人は「この子の才能をまっすぐに伸ばしたい」と思うものだ。しかし、才能という言葉は、あるレベルまでいってからことで、それまでは継続的な努力によってのみ上達や向上がある。子どもにはまず、継続的な努力を可能にする集中力を養うことが大切なのだ。
幼児や小学生の頃の子どもは、好奇心が旺盛で、どんなものでも好きになれば夢中になる。しかし、移り気でもある。飽きてしまうと、親がいくら熱心になって旗を振ろうが、太鼓を鳴らそうが、そっぽを向いてしまう。集中力を欠いている状態で無理強いしても、柔らかい頭脳には何も染み込んではいかないだろう。
(谷川 浩司「集中力」による)

5. 「集中力を養うことが大切なのだ」とあるが、それはなぜか。
集中力さえつけば、継続的に努力しなくても才能がまっすぐ伸びていくから
子どもに集中力があれば、親が無理強いしたことでも子どもはそっぽを向かないから
子どもの才能が開花するまでは努力が必要であるが、努力するためには集中力が重要であるから
子どもはふつう集中力がないので、まず集中力を養うことによって好奇心も旺盛になると考えられるから

問題3

人に会うときの心構えは、どんな場合でも同じだが、初対面のときは特に細かいところまで気を配る必要がある。
第一印象は決定的だ。最初の出会いのときに、どんな人であるか、だいたいの判断をされてしまい、それは固定観念となってしまう。そのあとで、少しぐらい異なった発言をしたり、新しい行動様式が見られたとしても、第一印象の内容のそれぞれに無理やり当てはめられてしまう。
すなわち、第一印象によって形成された先入観ないしは偏見という「色眼鏡」ですべてが見られてしまうのだ。その色眼鏡を外させたり、異なった色のものに変えさせたりするのは、至難の業である。したがって、自分をもっともよく見せる色眼鏡を、相手に最初からかけてもらうように努める必要がある。
(山暗武也「20代からの気のきいた「マナー」がわかる本』三笠書房による)
至難の業:とても難しいこと

6. その色眼鏡を外させたり、異なった色のものに変えさせたりするとあるが、これはどういう意味か。
他人に気を配りすぎている人に、自分の本当の気持ちを表させること
自分とは異なる発話や行動をする人を、自分と同じ考え方に変えさせること
最初の印象によってできたその人についての判断を、後から変えさせること
出会いの時、印象をよくしようとして飾っている人の本当の姿を出させること



Answer Key:

Question 1: 4
Question 2: 3
Question 3: 2
Question 4: 2
Question 5: 3
Question 6: 3
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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-33/

問題1

その教授は、人間の脳がどのような作用によって活性化されるのか、という問題について話を進め、交通事故によって脳の一部をひどく損傷してしまった少年の実例を拳げた。(中略)
少年の脳の損傷具合はかなりひどいものだったので、医師は両親にその旨を告げ、たとえ手術がうまくいっても植物人間になることは免れないと宣告。「1」その上で手術をしたわけだが、リハビリの段階で少年に対してできるかぎりの愛情を注ぐことを、両親に勧めたらしい。たとえ寝たきりで反応がなくても、一日じゅう手や足をさすってやり、優しく励ましてやるようにと指示したのである。両親は愚直なまでにこの指示を守り、来る日も来る日も少年の手足をさすり、励まし続けたという。「___2___」、本来なら障害が起きてしかるべきであるはずの少年の脳は活発に働き始め、植物人間どころか、退院の日にはジョギングをしても大丈夫なほど回復したのだそうである。
「少年の退院の日は、「3」まさに感動的でありました」と教授は瞳を潤ませながら語っていたが、この実例から彼が引き出した結論(というか未だ仮定なのかもしれないが)は、人間の脳は「誰かに受け入れられる」という前提のもとに、活発に働くということであった。受け入れられるというのはどういうことかというと、これはとりもなおさず愛されるということである。ようするに愛し、愛されるという刺激がなければ、人間の脳は活発に働かないし、創造性も高まらないのである。
(原田宗典「幸福らしきもの」集英社による)
活性化する:刺激を与えて、働きを活発にする
その旨:その内容
愚直なまでに:愚かだと思われるほどまじめに

1. 「1」その上で手術をしたとはどういうことか。
命は助かるがジョギングできるほど回復はしないと言ってから手術をした。
脳の損傷がひどいので、助かる見込みはないと言ってから手術をした。
命は助かっても寝たきりで反応がなくなることを伝えてから手術をした。
脳の損傷はひどいが、手術をすれば元どおりになると約束して手術をした。

2. 「___2___」に入る最も適当な言葉はどれか。
その場合
そのかわり
そのとき
その結果

3. 「3」まさに感動的でありましたとあるが、何が感動的なのか。
退院の日に少年がジョギングをしながら帰ったこと
手術を担当した教授が話しながら瞳を潤ませたこと
ひどいけがだったのに手術により障害が防げたこと
親の励ましによって少年が予想以上に回復したこと

問題2

以下は、長年インタビューを仕事にしている人が書いた文章である。
何かと取材しつくされたような今の時代にも、乗った電車で横に座った、ぐらいの近くにいる普通の人たちの辿った過去、精神的な道のりを取材することには(1)可能性が残されている。これは幸福な感触だった。普通の人に対して、話題の人物と同じような方法でなるべく丁寧に話をうかがってみたけれど、そのうちの一部分は、これはある職業における普通の人たちへのインタビューとして、昨年発表した拙著「善き書店員」という本にまとめた。特殊な人物の発言よりむしろそんな普通の人たちの実感こそ、数十年後に振り返れば時代の証言にも聞こえるのではと思うようになっていった。(2)有意義な取材が開拓されきったような空白の時代に、特別で極端な物語はもういいやという状況で隙間を見つけようとして、そこら辺にごろんと転がっている声の実りにたまたま気づかされたわけだ。
過去は、文句の言えない形で(3)「これだ」と見せられるようなものではない。映像などで記録されていてさえ、人物の内面で起きた心の大事件みたいなものは捉えられなかったりもする。解釈は変化するから、同じ出来事への同じ人物の談話も十年前と今でかなり異なることもよくあり、つまり過去は人物の内面で揺れ動き続けていて、形を持たない怪物のようでもある。過去の解釈は、本人が切実に感じているからこそ人生に陰影を与えるため、主観の記憶の何が真実かさえも重要ではない場面がある。有名無名を問わず、さまざまな方に取材で話をうかがううちに、この過去という確固たる形を持たず動き続ける怪物にこそ人間は振り回されたり、あるいは歩き続けていくための滋養をもらったりするようだな、と思うようになっていった。
(木村俊介「暮しの手帖」2014年6―7月号による)

4. (1)可能性とはどのようなことか。
普通の人のほうが、丁寧に取材に応じてくれること
普通の人の実感に、取材すべきものを見いだせること
普通の人への取材では、共感できる話を聞けること
普通の人への取材のほうが、幸福な時間に感じられること

5. (2)有意義な取材とはどのようなものだったか。
普通の人から時代の証言になるような話を聞く。
普通の人から数多くの普通の話を聞く。
話題の人物から日常の何げない話を聞く。
特別な人から特別な話を聞く。

6. (3)「これだ」と見せられるようなものではないとあるが、なぜか。
過去は心の中で形を変えていくものだから
過去はあまりに多くの出来事を含んでいるから
過去の記録は過去の一部でしかないから
過去の記憶は徐々に薄れていくものだから

Answer Key:

Question 1: 3
Question 2: 4
Question 3: 4
Question 4: 2
Question 5: 4
Question 6: 1


https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-34/

人の会話というのは、言葉としては案外成り立っていないことが多い。ずっと昔、母親と話をしていてそう痛感したことがある。
たとえばの話。私が母に「このあいだより太ったみたいだけれどどうしたの」と訊く、すると母は「服を買いにいったら大きなサイズの店にいけと言われて腹がたった」と続ける。「甘いものを食べすぎなんじゃないの」と私が言うと、「どこそこの店の大福を買ったらまずくて食べられたものじゃなかった」と母は言う。
このように書き記してみれば、会話としてまったく成り立っていない。双方が双方の思うままを口にしているだけである。
私はこの母とよく口論になった。この「(1)思うまま会話」がどんどん進んでいくと、最後に決まって母は「小説なんか書いてないで結婚したらどうか」という方向に結論づけ、「あなたが太った話がなぜ私の結婚問題に結びつくのか」と(2)私が突っかかり、口論になるわけである。この口論だってもちろん、会話としては成り立っていない。その都度、「母に私の言葉は通じないのだ」と腹立ち紛れに思ったものだった。
しかしひょっとしたら、通じないと決めつけた私は、会話というものは「相手の言うことを耳で聞き、順繰りに理解する」はずだと信じていたのかもしれない。信じているふうに会話が進んでくれないことに、苛立っていたのかもしれない。そういえば、「私の話をちゃんと聞いているのか」と、話の途中で幾度も言ったことを今、思い出した。(3)あれは、「耳で聞いたことを順繰りに理解しているのか」と、自分の信じるところを訴えていたんだなあ。
言葉というものは使う人によって、温度も色合いも違う。もしこれが統一されていれば、順序だてて理性的に会話をせずとも、誤解や勘違いやすれ違いはまったくなくなるのではないか。(4)映画や小説のなかで人々が交わす言葉は、たいていの場合、温度も色合いも統一されている。だからものごとは決まった時間、決まったペ-ジ数のなかで、理性的に展開され着地する。しかし(____5____)で、同じ温度、同じ色合い、無個性の言葉でしか会話できないとしたら、と考えると、なにやら殺伐としたものを感じてしまう。あくまで想像だが、戦時下などの有事のときは、ぎりぎりまで言葉から個性がそぎ落とされたのではなかろうか。
その人しか持ち得ない言葉があり、その人からしか受け取れない言葉というものがある。誤解をしたりすれ違ったりしつつ、それをまた言葉で訂正していく、ということも、案外人の持つゆたかさのひとつなのかもしれない。そう考えると、成立しなかったように思えた母との会話も、私たちにしかあり得ない関係のひとつだったと思え、そのことにちょうっと安心する。
(角田光代「成立しない会話」「脳あるヒト心あるヒト」産経新聞2006年1月16日付朝刊による)

1. (1)「思うまま会話」とあるが、どのような会話か。
相手に通じないとあきらめて、初めから相手を理解しようとしない会話
相手の話を十分聞かず、自分の言いたいことを言うだけでかみ合わない会話
相手が興味を持っている話題について、相手の話の流れに合わせてする会話
相手の話を聞いていて腹がたつ内容が含まれているので、口論になりやすい会話

2. (2)「私が突っかかり」とあるが、その時の筆者の気持ちとして最も適当なものはどれか。
母の話は何が言いたいのかわかりにくいので、欲求不満を感じている。
母のことを思って話しているのに、どうしてわかってくれないのだろうという苛立ちを感じている。
母の話は始まりと終わりでは内容が異なり、しかも気に障る内容になることに対して不快感を持っている。
母が言いたいことを言い続けて人の話を聞かないので、言いたいことが言えなくなるという不満を持っている。

3. (3)「あれ」とは何か。
母とどんなことでもよく口論したこと
母に自分の話は通じないと決めつけたこと
母との会話が思うように進まず苛立ってこと
母に自分の話を聞いているのか何度も確かめたこと

4. (4)「映画や小説のなかで人々が交わす言葉」に対して、筆者はどのように思っているか。最も適当なものはどれか。
言葉の順番が決まっているので、会話が理性的である。
会話が順序だてて進まないので、個性的でありおもしろい。
言葉の使われ方もニュアンスも同じで、会話が予想どおりに進む。
会話の場面では、お互いに相手の話をよく聞くようになっている。

5. (___5___)に入る表現として最も適当なものはどれか。
実際の生活
映画の世界
小説の世界
理想的な生活

6. 筆者は、はじめに会話がどのようなものだと考えていたか。
本来理性的であるが、誤解は当然生じるものだ。
すれ違いがあっても、苛立たずに聞くべきものだ。
相手の話の流れに沿って聞き、理解するべきものだ。
個性的であっても、その方が人間的だと感じられるものだ。

7. 母と自分との会話について筆者は今はどう思っているか。
誤解が生じるような会話も、活発な口論になるので、おもしろい。
誤解が生じるような会話も、二人の個性が表れていて、悪くはない。
誤解が生じるような会話は、母のわがままな性格の表れで、受け入れがたい。
誤解が生じるような会話は、母が一方的に進めたことが原因なので、意味がない。

Answer Key:

Question 1: 2
Question 2: 3
Question 3: 4
Question 4: 3
Question 5: 1
Question 6: 3
Question 7: 2


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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-35/

問題1

次のAとBは、日本で外来語・外国語の使用が増加していることについての意見である。後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

企業のような組織では、上下関係、年齢、性別などのさまざまな要因により、普段からメンバー全員がフラットに話し合える雰囲気がない場合も少なくありません。さらに、会議の場になると、誰かに対する遠慮や、ライバル心などが作用して、メンバーからまったく発言が出なかったり、話が平行線のまますり合わない、などといったことが起こってしまいます。
こうした状況を活性化させて、メンバー全員でアイデアを出していくために重要なのが、チームリーダーからメンバーへ質問をすることです。
チームリーダーという立場になると、ついつい、自分の考えや答えを、メンバーに提示してしまいがちですが、そうやって出た結論は得てして予定調和になりがちです。
チームで創造的なアイデアを出していくためには、メンバーの内側にあるものを引き出すことが重要であり、そのきっかけを与えるのが「質問」なのです。
(博報堂ブランドデザイン「チームのアイデア力。―アイデアが出るチームになるための5つのステップ」による)

組織の力を生かすには、メンバー同士の積極的な意見交換が欠かせない。しかし再三会議は行われるものの、役職や人間関係を気にしすぎて積極的な議論にならず、生産性がないという声も聞かれる。こうした状況を打開するために、リーダーは会議でどうすべきか。
まずリーダーが自身の明確なビジョンをメンバーに提示し、それについて広く意見を求めることが大切だ。目標がはっきり定まっていて、それに向けて具体的方策を練るという議論ならば、メンバーも発言しやすい。また、さまざまな方向性の意見が出て一つの結論へ収束させられないという非効率な事態も避けられる。リーダーは、目指すべき方向を示し、メンバーと議論を深めていける場を作ることが重要だ。
フラットに:ここでは、対等に
得てして:ともすれば
予定調和:ここでは、無難なもの

1. 企業の問題点として、AとBが共通して指摘している点は何か。
社内の人間関係が悪いこと
社内で無駄な会議が多すぎること
社内会議で活発な議論が行われないこと
社内会議の結論が業績向上に結びつかないこと

2. 会議でのリーダーの姿勢について、AとBはどのように述べているか。
AもBも、メンバーから出た意見をうまく調整することが重要だと述べている。
AもBも、自身の意見は控えて、質問でメンバーの意見を引き出すことが重要だと述べている。
Aはメンバー同士で話し合うことが重要だと述べ、Bは自身の考えを示してメンバーも意見を求めるべきだと述べている。
Aは質問をしてメンバーの意見を集めるべきだと述べ、Bは目標を明確に示して議論を進めることが重要だと述べている。

問題2

建築の設計をやっていると様々な職人に出会う。大小を問わずどの現場でも一人や二人、主役を張れる人がいる。そうした人に出会うのが、現場に通う楽しみのひとつだ。長い時間、図面にばかり接していると、現実を離れて思考が一人歩きすることがよくある。そんな時、彼らからもらう情報がかけがえのないものであることが分かる。我々が作り出す図面は、線で描かれた抽象的な記号に過ぎない。彼らは物に触っている。経験則によって裏付けられた、物に近い、深くて確かな情報を持っている。
図面は人間の頭の中だけで作り出されたものだ。それを現実の建物に移し替えるには、木や鉄やコンクリートといった、物から手によって直接に得られる情報が不可欠だ。頭で生み出されたものは、思いこみや錯誤によって間違うことが多いからだ。
今はコンピューターと情報通信の時代だ。それにともなって、手を動かす機会がどんどん少なくなってきている。建築の設計でもCAD(コンピューター利用設計)化の勢いはすさまじい。しかし、その図面は、設計の全体を把握しにくい。きれい過ぎて、何であれ、すべてうまくいっているように見えてしまう。手を経ずに、頭の中だけで作業が完結してしまっているからだろう。
トレーシングペーパーに鉛筆で苦労をして描かれた旧来の図面は、そこに描く人の感情が入っている。うまくいっていないところは消しゴムで消し、描き直して修正していく。技術的に問題のあるところ、デザイン的にうまくいっていないところほど、線はにじみ、トレーシングペーパーは人の手の脂で汚れてくる。何回も描き直した個所は、しまいには擦り切れて穴が開いてしまうこともある。
描いた当人の自信がなければ、鉛筆の線にもその迷いを見て取ることもできる。慣れてくると、図面上の線から、描いた人の経験的なレベルや人柄さえ分かるようになる。手書きの図面には、すてがたい様々な種類の情報が塗り込められている。均質な図面の向こう側に人の姿が見えにくい分、CADでは大きなリスクを見落とす可能性もある。
手から遠いコンピューターの出現によって、リスクの所在をかぎ取ることが、旧来の経験側では難しくなってきている。これは設計に限ったことではないだろう。今や情報通信とコンピューターはあらゆる分野に浸透し、社会全体を変えつつある。頭から生み出されたものが暴走している。リスクの所在が、より巨大で、見えにくくなった。どこかでそれを、生身の身体を持つ人間の側に引き戻す必要がある。手から得られる情報は、効率は悪いが、現実の世界をまさぐって得られるものだ。その人の身体だけにとどまる固有に情報といってもよい。忘れられつつある手の行き場を考えるべきだろう。
(内藤廣『建築のはじまりに向かって』による

3. そうした人に出会うのが、現場に通う楽しみのひとつだとあるが、なぜか。
職人から得る情報で自分のやり方の正しさが確かめられるから
職人たちの経験に基づいた信頼できる情報が得られるから
様々な職人たちから建築設計の多様性が学べるから
経験豊かな職人たちの仕事ぶりが見られるから

4. 鉛筆で描かれた図面について、筆者はどのように述べているか。
設計の過程や描いた人に関する情報が得られる。
経験を積んで設計に自信のある人にしか描けない。
細部は分かりにくいが、全体は把握しやすい。
情報を読み取りにくいが、描いた人の感情がこもっている。

5. 筆者は、コンピューターが社会にどのような影響を与えたと述べているか。
多くの情報の中から必要な情報を選び出しにくくなった。
リスクの高い様々な種類の情報が氾濫するようになった。
これまでに得られた経験則が社会で必要とされなくなった。
どこにどのようなリスクが潜んでいるか把握しにくくなった。

6. この文章で筆者が最も言いたいことは何か。
コンピューター化によるリスクを経験則によって回避すべきだ。
コンピューター化による効率重視の風潮を改めるべきだ。
手によってなされる仕事の伝統を守っていくべきだ。
手によってなされる仕事の価値を再認識すべきだ。

Answer Key:

Question 1: 3
Question 2: 4
Question 3: 2
Question 4: 1
Question 5: 4
Question 6: 4
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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-36/

問題1

年齢というのは、相手を理解する上での「1」重要なキーワードだと、わたしは思っている。
同じく、自分を理解してもらう上での重要なキーワードでもある。
「同じ世代だったんですね。じゃあ、あれ、ご存じでしょ~」
ということもあれば、
「へえ、十歳違うと、やっぱり考え方が異なってくるものですねえ」
ということもあるだろう。
それにわたしは、「2」自分の年齢を恥じたりしていない。若くして亡くなる人もいるというのに、わたしはいま現在で半世紀もの年月を生きることができた。いやなこともいいこともいっぱいあったが、そのどれもが、かけがえのないわたしの人生、一年たりとも否定したりごまかしたりしたくはない。
しかし、かなりの文化人ではあっても、女性の中には年齢を公にしたがらない方がけっこういらっしゃるようだ。あるシンポジウムに参加した時、パンフレットのパネラー紹介で、わたしのところだけ年齢がなかった。他のパネラーは男性で、全員、ちゃんと年齢が記されている。どうしてでしょうと問い合わせると、「3」女性の方は年齢を入れないでほしいとおっしゃる方が多いので、と言われた。つまり、勝手に気遣って、わたしだけ年齢を伏せてくださったとうわけだ。よけいなお世話である。ひとこと、どうしますかと尋ねてほしかったのにと、「4」かえって腹がたった。
(山崎洋子「隼齢は堂々と1コにしよう」「笑顔』1999年2月号―保健同人社による)
かけがえのない:他に代えられない、大切な
シンポジウム:ある問題についての意見や研究結果の発表会
パネラー:シンポジウムなどの講師・発言者

1. 「1」重要なキーワードだとあるが、なぜキーワードなのか。
お互いを理解するのに重要な手掛かりになるから。
自己紹介の時に言わなければならない事柄だから。
見かけにだまされないようにするのに重要だから。
年齢が違えば話し方を変えなければいけないから。

2. 「2」自分の年齢を恥じたりしていないとあるが、なぜ恥じたりしないのか。
これからも長生きをする自信があるから。
今までの人生は自分にとって貴重だから。
いやなことをたくさん解決してきたから。
本当の年齢よりももっと若く見られるから。

3. 「3」女性の方は年齢を入れないでほしいとおっしゃる方が多いので、と言われたとあるが、だれに言われたのか。
パネラーの男性
文化人の女性
シンポジウムの主催者
シンポジウムの参加者

4. 「4」かえって腹がたったとあるが、なぜ腹がたったのか。
年齢を書かれたくななったのに、書かれてしまったから。
パネラーは自分だけが女性で他の人は皆男性だったから。
文化人であっても年齢を公にしたがらない女性が多いから。
相手が、筆者も年齢を書かれたくないだろうと考えたから。

問題2

いま人間の欲望がいろいろと問題になっているのは、それが余りにも脹らみすぎて、欲望の充足それ自体が目的と化し、本来の意味、つまり私たちの必要を満たし、私たちに心身の安定とやすらぎ(幸福)をもたらす範囲を遥かに逸脱してしまったことにある。私たちの多くはこの過度に肥大した欲望ゆえに、日々を楽しく過せるどころか、絶えざる欲求不満に苛まれるという不幸な状態に陥っている。
(鈴木孝夫「人にはどれだけの物が必要か―ミニマム生活のすすめ」による)

5. 欲望について、筆者はどのように述べているか。
欲望が満たされたため、本当に必要なものがわからなくなっている。
欲望が簡単に満たされるために、日々の楽しみが失われている。
欲望が脹みすぎて、欲望を満たすことをあきらめるようになっている。
欲望が脹みすぎたため、幸福が感じられなくなっている。

問題3

以下は、ある会社で回覧された文書である。
2019年12月1日
社員各位
年末年始休業に伴う出張経費精算書類の提出について
出張経費精算書類の12月の受付は月末ではなく25日(金)までとなります。25日までに受理した書類については、1月末日に各人の個人口座に振り込みます。25日を過ぎたものについては、2月末日の振り込みとなりますのでご了承ください。領収書の添付漏れや記載ミスへの対応も業務再開後となりますのでご了承ください。
なお、出張経費精算書類の1月の受付は年末年始休業明けから再開し、締め切りは通常通り月末となります。
以上

6. 出張経費精算書類について、この文書で最も伝えたいことは何か。
12月受付分の振り込みは2月末日になること
12月の受付の締め切りが他の月より早いこと
12月受付書類の不備への対応は12月中にはできないこと
12月25日までに年内出張分を提出しなければならないこと

Answer Key:

Question 1: 1
Question 2: 2
Question 3: 3
Question 4: 4
Question 5: 4
Question 6: 2
---------------https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-37/

問題1

私は学生たちに時間の活用法について、「テレビを見ているときコマーシャルの間に大急ぎで何かやる、あの瞬発力を思い出せ」と教えている。30秒か1分の間にトイレに駆け込んだり、冷蔵庫を開けて何か食べものを取り出したり、われわれは敏捷に行動する。あの要領で物事を処理すれば、相当沢山の仕事ができるものなのだ。また、頭をそういう風に使うことによって、錆びつきがちな脳に刺激を与えるよすがにもなる。
それをもう少し延長して5分間仕事をいつも幾つか持っていることも大事だ。馴れれば人を待つ5分間で葉書1枚くらい書くことができる。手帳を開いてスケジュールのチェックをしたり、ショッピングリストを作ったり、いろいろなことが5分間で果たせる。だいたい、そういうハンパな時間は雑草のようなもので、気がつかないうちに、はびこってしまう。

1. 人生を豊かにするために、筆者がすすめる時間の使い方はどれか。
少しでも時間が空いたら、小さな仕事を片づけるようにする。
脳の刺激になるように、沢山の仕事を一度に集中して行う。
大切な仕事は、あまりあせってしないで、慎重に処理する。
忙しい人生の中、ハンパな時間ぐらいはゆっくり過ごす。

問題2

「自分は間違ってない」と思うことから始まる怒りは、妥当な怒りです。少しも後ろめたくありません。
むしろ、「間違ってない」と思いながら怒りをごまかしてしまったときのほうが後味は悪いのです。「なんで怒らなかったんだろう」という後悔は、惨めな気持ちになって長く続きます。
怒りを抑えてばかりいると、この惨めな気持ちにも慣れてしまいます。敗北感に慣らされてしまうのです。
わたしはこれがいちばん怖いと思っています。
(和田秀樹「腹が立ったら怒りなさい」による)

2. 筆者の考えに合うものはどれか。
怒りの原因を明らかにしたいなら、怒りをごまかさないほうがいい。
怒りを抑えていると、ますます怒りが増してしまう。
自分が間違っていないと思うなら、怒りを抑えなくていい。
自分が間違っていると気づけば、怒りは長く続かない。

問題3

白色度というのは物理的な指標であって感受性の指標ではない。したがって白色度が高いというだけでは白は印象づけられないのである。咲き乱れる花々の印象は真っ白でも、その背後にコピー用紙程度の紙を置いてみると、花そのものの白さは紙の白さほどではないことに気が付く。花弁は淡い色を含み水分をたたえた重たい白である。しかし咲き誇る花々が僕らの心に届けてくる白は鮮烈に白い。

3. 筆者の考えを表わしているのはどれか。
花そのものの白さは物理的な指標で示せない。
花そのものの白さは物との比較によって決まる。
花の白さの印象は白色度では説明できない。
花びらより咲き誇る花々のほうが白色度が高い。

問題4

いつでも帰ってこられる場所があると思っていられるのは、ずいぶんと心強いことだと思うんです。別に帰ってこなくてもいい。「帰れるところがある」と思っている人と、そんな場所がない人では、人生の選択肢の数が違う。当たり前ですけれど、「退路のある」人の方が発想がずっと自由になれる。ずっと冒険的になれる。
親子関係も同じじゃないかと思います。10年ほど前に高校を卒業した娘が東京へ行くときに、ぼくが娘に言ったのは二つだけです。「金なら貸すぞ」と「困ったらいつでも帰っておいで」。親が子どもに向かって言ってあげられる言葉はこれに尽きるんじゃないでしょうか。泊まるところがなかったら、いつだって君のためのご飯とベッドは用意してあるよ。この言葉だけは親はどんなことがあっても意地でも言い続けないといけないと思うんです。「そんなに甘やかすと自立の妨げになる」と苦言を言う人もいますけれど、ぼくはそれは違うと思う。
「人間は弱い」というのがぼくの人間観の根本なんです。だから、最優先の仕事はどうやってその弱い人間を慰め、癒し、支援する場を安定的に確保するか、です。(中略)家は、メンバーのポテンシャルを高めたり、競争に勝つために鍛えたりするための場じゃない。そういう機会なら家の外にいくらでもある。
家というのは、外に出て、傷つき、力尽き、壊れてしまったメンバーがその傷を癒して、また外へ出て行く元気を回復するための備えの場であるべきだどぼくは思っています。
(内田樹「ぼくの住まい論」による)
これに尽きる:これしかない
ポテンシャル:ここでは、可能性

4. 「帰れるところがある」と思っている人について、筆者はどのように述べているか。
人生の選択肢に迷わない。
人生の可能性が広がる。
自分に自信が持てる。
将来に不安を感じない。

5. 筆者は親が子どものためにどうすればよいと考えているか。
いつでも助けてあげられることを伝える。
「人間は弱い」ということを教える。
自立の妨げになることをしない。
将来お金に困らないようにする。

6. 筆者は、家はどのような場であるべきだと考えているか。
競争に勝つためにさらに自信をつける場
社会で自立するための能力を身につける場
どんなときでも、穏やかな気持ちになれる場
つらくなったときでも、活力を取り戻せる場

Answer Key:

Question 1: 1
Question 2: 3
Question 3: 3
Question 4: 2
Question 5: 1
Question 6: 4
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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-38/

問題1

環境が高速化しても、私たちの神経的な伝達速度や知覚認知の処理時間は変化しないことから、人間が一時にできる認知的課題の数もそれほど変わらないことが推察される。このことは、様々な情報が手に入り、やりたいこと、したいこと、そして実際にできる可能性が高まったとしても、「1」実際にできる事柄の数がそれほど増えるわけではないことを示唆している。
もちろん、技術革新によって、一つの事柄をやり遂げるまでに要する時間は大いに短縮された。筆者自身、パーソナルコンピュータを使って論文などを書くようになって、論文一本あたりにかける時間と労力はずいぶん減少したと思う。特に、原稿を清書したり作図したり、という手作業の段階に要する時間はかなり減った。
しかし、そうはいっても、論文を書く際に論理展開をまとめるのに要する時間はそれほど短縮されるわけではない。考えるためには、どうしてもそれなりの時間が必要だ。
(中略)
人間が一つのことをやり遂げるにはどうしても一定の時間がかかる。その時間が技術革新や経験、学習によって、増えた欲望を満たすのに必要な時間以上に短縮されないとしたらどうするだろうか。当然、潜在的な可能性に基づいて肥大する欲望のうち、実際に満たされるものは一部のみということになる。この場合、やりたいと、やれるはずのことは数多くあるのに、なかなかそれが実現できない「2」ジレンマが生じる。そうなると、むしろ、できる事柄が少なかったころよりも時間が足りず、忙しく、やりたいことができないという感覚が強くなっているかもしれない。
(一川誠『大人の時間はなぜ短いのか』による)

1. 「1」実際にできる事柄の数がそれほど増えるわけではないのはなぜか。
人間は高速化した環境では考える時間があまりないから。
人間が物事を認知できる速度はあまり変化しないから。
人間の認知的な能力を超えた課題が増えているから。
人間に与えられた時間は限られているから。

2. 技術革新によって、一つの事柄の完成に要する時間はどうなったか。
質の高さが求められるようになったため、完成までの時間は変わらない。
考える時間は短縮されないため、完成までの時間は変わらない。
様々な情報が入手しやすくなり、完成までの時間も短縮された。
手作業の時間が短縮された分、完成までの時間も短縮された。

3. 「2」ジレンマが生じるとあるが、なぜか。
人間の欲望が増えすぎて、できることとできないことが見極められないから。
人間の欲望は増えたが、欲望を満たすのは必要な時間は短くならないから。
技術革新で作業効率が上がったが、しなければならないことも増えているから。
技術革新の速度が速すぎて、追いつくのが難しくなっているから。

問題2

「1」手紙というのが、どうも苦手である。手紙を書く必要に迫られたりすると、とつぜんクシャミがとまらなくなったり、おなかをこわしたりする。
もともと、文章を書くのがいやだ、ということもある。が、それ以上に手紙を書くのがいやなのは、あの形式のせいである。
まず、「拝啓」というのが気に入らない。拝啓というのは「つつしんで申し上げる」というイミらしいが、いまどきそんなことを知っている人は、あまりいない。イミもわからずに、なぜ「拝啓」なんて書かなければいけないのか、ぼくにはまったく理解できないのだ。
(中略)
ま、いちがいに「形式」がいけないとは言わない。もともと形式というのは、みんなの便利さのためにあるものだ。形式があるからこそ、ぼくたちは「2」余分なことに余計に神経を使わずにすむ。もし、手紙の形式というものがなかったら、ぼくたちは手紙を書くたびに、「どう書き出せばいいだろうか」とか、「こう書いたら失礼にならいだろうか」とか、あれこれこまかいことに気をつかって、書かないうちからクタクタになってしまうかも知れない。
が、そういう形式の効用は十分認めたうえで、なおいまの手紙の形式は死んでいる、とぼくは思う。で、それがぼくたちの首やからだに巻きつき、ぼくたちの手紙を窒息状態に追いこんでいると思う。形式をちゃんとこなせばこなすほど、手紙からどんどん生気が失われていくのだ。
(天野祐吉「バカだなア」筑摩書房による)
クタクタになる:とても疲れる

4. 「1」手紙というのが、どうも苦手であるとあるが、その一番の理由は何か。
文章を書くのが好きではないから
手紙の形式が好きになれないから
手紙をどう書き出せばいいかわからないから
手紙を書こうとすると体の具合が悪くなるから

5. 「2」余分なことに余計に神経を使わずにすむとは、たとえばどんなことか
疲れたり、体の調子が悪くならないように心配しなくてすむこと
書き始めの表現や相手への礼儀を表す言葉を考えなくてすむこと
相手の使う形式に合わせて、自分の手紙の形式を変えなくてすむこと
自分で考えた言葉をどんどん使って、相手に失礼になっても気にしないこと

6. 筆者は手紙の形式についてどのように考えているか。
形式はないと不便だが、現在の形式は手紙を書く意欲を奪うものだ。
手紙の形式のもともとの意味を知れば、よい手紙が書けるようになる。
相手に対して失礼な手紙を書きたくないなら、形式は無視した方がよい。
形式があるからこそ、自由に好きなように相手に手紙を書くことができる。

Answer Key:

Question 1: 2
Question 2: 4
Question 3: 2
Question 4: 2
Question 5: 2
Question 6: 1

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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-39/


問題1

私は、科学が再び文化のみに寄与する営みを取り戻すべきと考えている。壁に飾られたピカソの絵のように、なければないで済ませられるが、そこにあれば楽しい、なければ何か心の空白を感じてしまう、そんな「無用の用」としての科学である。世の中に役立とうというような野心を捨て、自然と戯れながら自然の偉大さを学んでいく科学で良いのではないだろうか。好奇心、探求心、美を求める心、想像する力、普通性への憧れ、そのような人間の感性を最大限練磨して、人間の可能性を拡大する営みのことである。
むろん、経済一辺倒の現代社会では、そんな原初的な科学は許されない。一般に文化の創造には金がかかる。ましてや科学は高価な実験器具やコンピューターを必要とするから一定の投資をしなければならず、そうすれば必ずその分の見返りが要求される。「文化より明日のコメを」という声も絶えることがない。社会もムダと思われるものに金を投ずるのを忌避するからだ。それが「役に立つ」科学とならねばならない要因で、科学者もセールスマンのように次々に目新しい商品を用意して社会の要求に迎合していかねばならなくなる。それを逆手にとって、あたかも世の中を牛耳っているかのように尊大に振舞う科学者すら登場するようになった。これほど社会に貢献しているのだから、もっと金をよこせというわけである。金を通しての科学者と社会の網引き状態と言えるだろうか。
それでいいのかと改めて考え直してみる必要がある。確かに科学には金がかかり、それには社会の支持が欠かせない。「無用の用」にすらならないムダも多いだろう。しかし、ときに科学は世界の見方を変える大きな力を秘めている。事実、科学はその力によって自然観や世界観を一変させ、社会のありように大きな変化をもたらしてきた。社会への見返りとは、そのような概念や思想を提供する役目にあるのではないか。それは万に一つくらいの確率であるかもしれないが、科学の営み抜きにしては起こり得ない貢献である。むろん、天才の登場を必要とする場合が多いが、その陰には無数の無名の科学者がいたことを忘れてはならない。それらの積み上げがあってこそ天才も活躍できるのである。
今必要なのは、「文化としての科学」を広く市民に伝えることであり、科学の楽しみを市民とともに共有することである。実際、本当のところ市民は「役に立つ科学」ではなく、「役に立たないけれど知的なスリルを味わえる科学」を求めている。市民も知的冒険をしたいのだ。(中略)科学の行為は科学者という人間の営みだから、そこには数多くのエピソードがあり、成功も失敗もある。それらも一緒に紡ぎ合わせることによって「文化としての科学」が豊かになっていくのではないだろうか。それが結果的に市民に勇気や喜びを与えると信じている。
(池内了『科学の限界』による)

1. 筆者によると、原初的な科学とはどういうものか。
一見無用と思われるものを、世の中に役立てようとするもの
人間の可能性を拡大するために、なくてはならないもの
自然の中で感性豊かに生きるために、自然を学ぼうとするもの
自然の偉大さを学び、人間の感性を豊かにしていくもの

2. それでいいのかと改めて考え直してみる必要があるとあるが、筆者は何を考え直してみる必要があると述べているか。
科学の営みの中に社会に寄与しないムダが多いこと
社会が科学に投資しなくなってきたこと
社会も科学者も科学を経済的観点からしか見ていないこと
社会も科学者も科学に見返りを求めるべきではないと考えていること

3. 筆者は科学が社会にどのような貢献をしてきたと考えているか。
無数の科学者の積み上げから天才を登場させてきた。
これまで主流とされてきたものの見方を履し変化をもたらした。
社会の要求する新しい商品を次々に提供してきた。
社会の役に立たないことにも価値があると人々に認識させてきた。

4. 筆者が言いたいことは何か。
市民と科学の楽しみを共有することが「文化としての科学」の発展につながる。
市民が知的好奇心を高めれば「文化としての科学」が豊かになる。
「文化としての科学」と「役に立つ科学」が共存することで社会が豊かになる。
「文化としての科学」とともに「役に立つ科学」を市民に伝えることが必要だ。

問題2

私は自分が考えているということを自覚しているので、人というのはみんなこのように考えているものなのだと、つい思ってしまいがちである。私が考えているように、すべての人も考えているものなのだと。
しかし、どうやら、そうではない。どころか、考えている人など滅多にいない。年齢と経験を重ねるほどに、この事実をいたく思い知るのである。私にとって当たり前すぎることが、他の人にとっていかに当たり前のことでなかったか。
(池田晶子「わが闘争」「本の旅人』2002年1月号角川書店による)

5. この事実 とは、どのような意味か。
自分が考えているのと同じように、他の人も考えている。
自分は考えていると思っていたが、実は考えていなかった。
自分は考えているが、他の人は自分のようには考えていない。
自分と年齢や経験が異なる人は、自分と同じようには考えていない。

問題3

以下は、ある企業がホームページに掲載したお知らせである。
関川薬品工業株式会社>お知らせ
2017.06.01重要なお知らせ
すでにお知らせしておりますとおり、西山営業所は5月31日(水)より移転先にて業務を再開しております。しかしながら、移転作業時にファクス機に故障が生じ、本日(6月1日)現在もファクスの送受信ができません。
復旧までは下記の電話もしくはメールをご利用ください。なお、ファクス機が復旧し次第、こちらのホームページ上でお知らせいたします。
関係者の皆様には大変ご迷惑をお掛けし申し訳ございませんが、何卒よろしくお願いいたします。
電話番号:020-428-4319
Eメール:info@sekikawa.com

6. 西山営業所について、このお知らせで最も伝えたいことは何か。
移転が完了し、5月31日から業務を再開している。
移転が完了したので、電話とメールは使える。
ファクス機が復旧し次第、業務を再開する。
ファクス機は不調だが、電話とメールは使える。

Answer Key:

Question 1: 4
Question 2: 3
Question 3: 2
Question 4: 1
Question 5: 3
Question 6: 4

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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-40/

問題1


現在の若者世代は、「車離れ」などの言葉に象徴されるように消費に対して消極的な世代だととらえられることが多い。高級車やブランド品などかつて若者が憧れたものに見向きもしない若者が増加しているという。要因の一つとしては、収入が少なく未来に希望が持てないために節約志向の若者が増えていることがあると言われているが、生まれたときから多くのものに囲まれて育ったおかげで、ものそのものに対する欲求が低いことも挙げられよう。
とはいえ、そのような若者たちも全く消費をしないわけではない。彼らは、単なるものだけではなく、人とのつながりや体験を共有するためにお金を使うのだ。

若者の消費実態を俯瞰すると、今の若者は、デフレや流通環境の進化による消費社会の成熟化、情報通信をはじめとする技術進化の恩恵を受けて、バブル期の若者よりもお金をかけずに多様な商品・サービスを楽しめる環境にある。安価で高品質な商品・サービスがあふれ、娯楽も多様化していることで、選択できる対象も増えている。こういった変化によって、今の若者では消費に対するモノサシが変わり、「クルマ」や「高級ブランド品」といったバブル期の若者の欲していたものへの興味関心が相対的に薄れているのだろう。
つまり、「若者はお金を使わない」わけでなく、お金を使わなくて済むようになり、価値観の変化により欲するものが変わってきている。
(久我尚子『若者は本当にお金がないのか?-統計データが語る意外な真実』による)

1. 現在の若者の商品傾向について、AとBはどのように述べているか。
AもBも、消費の対象が変化していると述べている。
AもBも、ものそのものに対する興味関心が低くなったと述べている。
Aはものを買わなくなったと述べ、Bは品質にこだわらなくなったと述べている。
Aは消費の対象がものではなくなったと述べ、Bは自身のために消費するようになったと述べている。

2. 若者の消費傾向の変化の要因について、AとBが共通して指摘している点は何か。
若者の購買力が下がったこと。
若者が節約を好むようになったこと。
若者がものに恵まれた環境にあること。
若者にとって魅力的なものが少ないこと。

問題2

私は、一人の作曲家として、色々な機会に、自分の作曲について語ってきた。しかしそれは、私自身が、自分の作曲についてよく知っている、ということを意味するわけではない。私の作曲には、言葉で説明できるような組織的な方法論はない。作曲するときの私は、単に、感覚に頼って、直観的に「これが好い」と納得できる音の連なりを探し続ける。そして、「ここが曲の終わりだ」と感じるところに到ったとき、一つの曲の出来上がりとなる。ただそれだけである。「これが好い」あるいは、「ここが曲の終わりだ」という感覚的な判断の根拠は、説明できない。そして、そのようにして作った曲が何であるのかについても、よく分からないのである。
もっとも、私は、自分の作曲について本当に何も知らないというわけではない。そもそも、どうやって何を作るかということを全く知らずに物を作ることは、不可能である。例えば、もし、ガラスのことも、そして、花瓶というものがどのようなものかも知らなければ、ガラスの花瓶を作ることはできない。同様に、作曲の場合にも、素材である音と、その音の構成の仕方について知らなければ、そしてさらに、音楽というものがどのようなものなのかを知らなければ、曲を作ることなどできない。作曲をするからには、作曲者は、当然、それらについて一応知っている。
(中略)
作曲は、必ず、何らかの伝統における「基本的な」知識を前提としている。だが、その「基本的な」知識をそのまま(大抵の場合、無意識的に)受け容れてその範囲で作曲する「保守的な」作曲家達がいる一方で、前衛主義に代表されるような、新たな音楽の可能性を求める作曲家達は、自らが出発点とした伝統における「基本的な」知識の外に踏み出そうとする。そして、この伝統からの踏み出し――あるいは、「逸脱」と言うべきかもしれない――は、常に、実験的な性質を帯びる。つまり、非伝統的な素材を用いることによって、あるいは、非伝統的な音構成法を試みることによって、伝統に由来する「基本的な」知識が告げる音楽というもののイメージから逸脱した未知のものが産み出される可能性があり、そして、この未知なるものを相変わらず「音楽」と呼ぶとしても、それがどのような意義と価値をもつ音楽なのかは、わからないのである。その意義と価値を判断するためには、そこに生まれてきた音楽そのものを吟味してみるほかはない。
私が、自分自身の作曲について語り得ることは、まさにこのこと、つまり、自らが行った実験的な試みの結果として産み出された音楽についての吟味であり、言い換えれば、自分が行ったこととその結果についての自分自身による解釈なのである。
(近藤譲『〈音楽〉という謎』による)

3. そのようにして作ったとあるが、どのように作ったのか。
曲全体の出来上がりをイメージしながら作った。
曲の終わりを意識して納得できる音を探しながら作った。
美しいとされている音の連なりを組み合わせて作った。
音の連なりを理屈ではなく感覚的に選んで作った。

4. 筆者は、ガラスの花瓶の例を挙げて何を言おうとしているのか。
音楽の素材として適している音があること
作曲家はどのような仕事をしなければならないかということ
作曲家は何の知識もなく曲を作ることはできないこと
自身の作曲について知らなければいい曲はできないこと

5. 新たな音楽の可能性を求める作曲家達の音楽とは、どのようなものか。
伝統的なイメージから離れた実験的な音楽
「基本的な」知識を知らずに作った未知の音楽
「基本的な」知識を元にして作った新しい音楽
非伝統的だが「保守的な」イメージを失わない音楽

6. 筆者によると、自分自身の作曲について語れることはどのようなことか。
自身の曲の意義と価値
自身の方法論についての解釈
自身の試みと、曲についての解釈
自身の作曲過程と、実験的音楽の可能性


Answer Key:

Question 1: 2
Question 2: 3
Question 3: 4
Question 4: 3
Question 5: 1
Question 6: 3
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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-41/
知覚の役割は、教科書的には、当面の世界の状況を具体的に把握することだと説明される。ある日突然、知覚の一つを失ったことを考えると、それはよくわかる。それぞれの知覚についての教科書的な説明は、だから五感という入力そのものの具体的な説明である。しかし脳にとっての知覚入力全体の役割は、それぞれの知覚そのものが果たす役割とは、違うはずである。脳はそうした諸入力の共通の処理装置でもあるからである。ヒトの知覚入力が脳で究極的に処理されて生じる、もっとも重要なことはなにか。
私はそれを世界像の構築だと考える。われわれはだれでも、ある世界に住んでいると思っている。その世界では、熱いものに触れば火傷し、火傷するとしばらく痛む。私の家からしばらく歩けばお寺があり、休日には何人もの入が写真をとったり、見物しているの
を見ることができる。そこから20分も歩けば、鎌倉駅に着く。そこには東京方面と横須賀方面行きの電車が走っており、少し違った方向へ行けば、江ノ島電鉄線に乗れることがわかっている。
こうした身のまわりの世界像は、動物でも多かれ少なかれ、持っているはずである。たとえば私の家のネコも、自分の住む世界をそれなりに把握している。それはどうやらお寺の庭までらしい。そこまで出かけそいるのは見ることがあるが、それ以上先では、見かけたことがないからである。このネコを抱いて、ネコの知っているらしい範囲から出ようとすると、手のなかで暴れだし、飛び降りて逃げてしまう。
単純な世界像の一つとして、ダニの世界を挙げることができる。「1」葉上にいる吸血性のダニは、炭酸ガスに反応して、運動がさかんになる。炭酸ガスの濃度が上がる
ことは、近くに呼吸をする動物が近づいた可能性を意味するからである。そこにわずかな震動が加
わると、ダニは落下する。うまく落下すれば、動物のからだの上に落ちる。そこが37度程度の温度であり、あとは酪酸の臭いがすれば、ダニはただちに吸血行動を始める。(中略)このように、動物がそれぞれの限られた知覚装置から、自己の生存に必要な世界像を作っているであろうということは、ヤコプ・フォン・エクスキュルによって最初に主張されたことである。
われわれヒトが持っている世界像は、はるかに複雑である。しかしそうした世界像ができあがるについては、ダニの場合と根本的には同じように、そこにさまざまな知覚入力があったはずである。それらの入力は、脳で処理され、しばしば保存される。学校で勉強したことも、知覚からの入力である。先生の話を聞けば、話は耳から入ってくる。これは聴覚系からの入力である。教科書を読めば、視覚から入力が入ってくる。こうして五感から入るものを通して、われわれは自分の住む世界がいかなるものであるか、その像を作り出
し、把握しようとする。
このようにして把握された世界は、動物が把握するような自然の世界だけではない。ヒトはさらに社会を作り出す。言い方を変えれば、社会はそうした世界像を、できるだけ共通にまとめようとするものである。ある社会のなかでは、人々はしばしば特定の世界像に対する好みを共有している。だからその社会は、共通の価値観を持ち、人々はしばしば共通の行動を示す。同じ社会のなかでも、友人どうしはそうした世界像が一致している場合が多い。さもないとおたがいに居心地が悪かったり、喧嘩になったりする。特定の世界像を構成し、それを維持し、発展させること、それが社会と文化の役割である。社会はじつは「___2___」である。
(養老孟司『考えるヒト』筑摩書房による)

1. 筆者によると、脳にはどのような役割があるか。
知覚そのものが持つ働きを使って、世界の中での自分の役割を考えること
五感を通して知覚入力し、いろいろなものを見たり、痛いと感じたりすること
実際の行動を通して入ってきた知覚により、自分の世界とは違う世界を知ること
入ってきた知覚を処理し、自分が住む世界を把握してそのイメージを形成すること

2. ネコの世界像について述べた以下の文の中で、正しいものはどれか。
ネコは世界像を持たず、生活する範囲はかなり広い。
ネコも世界像を把握しているが、その外側でも生活できるようだ。
ネコにも世界像が存在し、ほぼその中だけで生活しているようだ。
ネコは世界像を持っていないが、行動範囲はある程度決まっている。

3. 「葉上にいる吸血性のダニ」が世界像を構築する上で最も必要なものは何か。
炭酸ガスと震動と37度の温度と酪酸の臭い
37度の温度と酪酸の臭いとダニの運動と震動
酪酸の臭いと炭酸ガスと動物の呼吸と吸血行動
炭酸ガスと37度の温度と動物の呼吸とダニの運動

4. ヒトとダニの世界像について正しいものはどれか。
ヒトの世界像の方が複雑だが、他から知識を学んで世界像を作る点は同じだ。
ヒトの世界像の方が複雑であり、ダニは知覚入力を必要としない点で異なる。
ヒトの世界像の方が複雑であり、ダニは知覚入力を脳に保存できない点で異なる。
ヒトの世界像の方が複雑だが、いろいろな知覚を通して世界像を作る点は同じだ。

5. ヒトの社会と世界像について述べた以下の文の中で、この文章の内容と合っているものはどれか。
ある社会のメンバーは、それぞれが個別の世界像を持つが、互いの価値観を一致させようとしている。
ある社会のメンバーは、ある世界像に対して同じような価値観のもとで同じような行動をすることが多い。
ある社会のメンバーは、世界像が一致していることにより、互いに居心地の悪さを感じたり、喧嘩をしたりする。
ある社会のメンバーは、特定の世界像に対して異なった考え方を持つが、その対立の中で世界像を発展させている。

6. 「___2___」に入る最も適当な言葉はどれか。
各メンバー固有の世界像
脳によって作り出された世界
文化を維持し、発展させたもの
知覚入力によって把握される世界の状況

Answer Key:

Question 1: 4
Question 2: 3
Question 3: 1
Question 4: 4
Question 5: 2
Question 6: 2
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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-42/


問題1

ほんの一昔前まで運動中に水を飲むことは、よくないとされていました。かなり長時間の厳しい運動でも水を禁止していたのです。水を飲むことで疲労が増し、胃腸にも悪い、という理由でしたが、実は根性論がその背景にあったのです。安易に水を飲むようでは最後まで頑張れるはずがない、強くなれないというわけです。
しかし、今口では水は飲みたい時に飲みたいだけ飲んでよい、という考えに変わってきました。飲みたいのは、からだが要求しているのだ、という考えが背景にあります。
(藤原健固「歩きの科学」による)

1. この文章の内容に合っているものはどれか。
今は運動中に水を飲んでも根性がないとは言われない。
今では運動の激しさによって水を飲む量が決まっている。
昔から運動中に水を飲むのはからだにいいと言われてきた。
今より昔のほうが長時間の厳しい運動に耐えられる人が多かった。

問題2

最寄り駅へと向かう途中、骨董屋さんの前を通る。
その店が越して来たのは十年ほど前だろうか。はっきりした記憶はないのだが、夫のひとことで興味を持った。「毎日どんどん売れる商売じゃないだろうけど、それにしても客が入っているのを見たことないよね」という。確かにいつもひっそりと、主とおぼしき人は店の奥にじっと座っているばかり。宅配便の梱包された包みがたくさん置かれていることから、ネット販売専門の店なのだろうか。夫はその後も「1」不思議がっていた。
それから一年ほどして、ふいに謎が解けた。
面識はないが、時おり読んでいた同世代の女性のブログにこの店を訪ねた話が載っていた。壊れてしまった陶器の修理を頼みに行ったというのである。漆を使った金継ぎ、銀継ぎと呼ばれる手法で損なわれた部分を修復するのだが、その仕上がりは瑕跡ではなく、景色に見立てることができるほど美しい。
思いがけない近所にそんな専門の工房があったとは。新鮮な驚きとともに、「2」ひと筋の光が射し込んで来る思いがした。我が家にも欠けたからといって捨てられず、破片をそっと薄紙に包んだままにしているものがある。祖母が求め、そして壊してしまった十客揃いの小鉢のひとつ。義父が好んで使っていたという杯。これらをもとの形にもどすことができたら、どんなに心和むことだろう。
さっそく店を訪ねてみると、「やあ、いらっしゃい」と主はまるでなじみの客のように迎えてくれた。作業の合間に手をゆるめていることがあって、店の前の人の行き来を眺めている。「だから近所に住んでいる人のことはなんとなくわかるんです。」見ているのはこちらばかりと思ったら大間違いだ。
「3」すっかり気が楽になって、こちらの事情を打ち明けた。
(中略)
買い替えた方が安上りとわかっているものでも、使いつづけた愛着があって手放せないという人が増えている。一方で、高価な器を使うお料理屋さんが、段ボールいっぱい送りつけてくることもある。「前に修理したものがまた新たに壊れてもどってきたり。時々、どういう扱いをしてるのかなと思うことがありますよ。」
形あるものはいずれは壊れる。この道理があるから、歳月を経て伝えられたものに感謝の念も湧くし、儚さと美しさは同義でもある。うっかり手を滑らせる瞬間は誰にもあり、取り返しのつかない事実に直面すると、ため息が出るほど心に重い。
金継ぎはそんな心の痛手までやさしくいたわってくれる伝統の技術だ。もしもの時に助けてくれる人がいると思うと心底有り難い。けれど、だからこそ指先には神経を使ってぞんざいな扱いはすまいと、見事に修復された器を手に思っている。
(青木奈緒『暮しの手帖』2014年10-11月号による)

ブログ:日記形式のウェブサイト
漆を使った金継ぎ、銀継ぎと呼ばれる手法:陶器の修理方法の名称
十客揃いの小鉢:十個揃った小さな器
手をゆるめる:ここでは、休憩する
手を滑らせる:ここでは、落とす
取り返しのつかない:元の状態に戻すことのできない

2. 「1」不思議がっていたとあるが、何を不思議がっていたか。
宅配便の荷物が梱包されたまま置かれていること
十年経っても店の様子が何も変わらないこと
店なのに客がいるのを見たことがないこと
店主を一度も見たことがないこと

3. 「2」ひと筋の光が射し込んで来る思いがしたとあるが、なぜか。
同世代の女性が自分と同じ思いを抱いていることがわかったから
割れてしまった思い出深い陶器を直せそうだとわかったから
不思議に思っていた店がどのような店かわかったから
専門的な技術を近所で見られることがわかったから

4. 「3」すっかり気が楽になってとあるが、なぜか。
店主も自分のことを知っていて、親しく接してくれたから
店主は話しづらい人だと思ったが、そうではなかったから
店主が仕事の手を休めて話しかけてくれたから
店主が以前と同じように接してくれたから

5. この文章で述べられている経験を通して、筆者が強く思ったのはどのようなことか。
形あるものは壊れるからこそ、愛情を持って使いたい。
壊れるものには美しさがあり、作り手への感謝の念を忘れてはならない。
壊れたものは修復できても、壊れたときの心の痛手はなくならない。
壊れたものを直す技術があることに感謝しながら、大事に使いたい。

問題3

「日本型の食事は健康によい」とよくいわれますが、その理由の一つは、ごはんなどの糖質からとるエネルギーの割合が高いということが挙げられます。
(中略)
主食を減らすと、おかずで脂肪をたくさんとることになり、結果的に摂取するエネルギーを増やすことになります。また、糖質のとり方が少ないと、体の中で脂肪がうまく燃焼できません。
肉類の多い欧米型の食事の欠点は、「動物性脂肪のとりすぎによる脂肪過多にある」といわれますが、裏を返せば「糖質が少なすぎる」ということです。
(西崎統・渡邉早苗「高コレステロール・高中性脂肪血症」PHP研究所による)

6. 筆者の言う日本型の食事のよい点とは何か。
おかずに含まれている糖質から、エネルギーが十分とれること
主食よりもおかずから摂取するエネルギーが多いこと
糖質が少ないので、体の中で脂肪が燃焼できること
米などの糖質からエネルギーが十分とれること


Answer Key:

Question 1: 1
Question 2: 3
Question 3: 2
Question 4: 1
Question 5: 4
Question 6: 4
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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-43/

問題1

わが国の文章の書き手として、想像.想像するという言葉をもっともよく使ったのは、おそらく柳田国男であろう。民衆に伝えられる生活の慣習、用具などに残る手がかりをつうじて、なつかしい古層へとたどる民俗学の、わが国での開拓者として、柳田にはこの言葉がきわめてたいせつなものであった。
柳田は、それと空想.空想するという言葉とを区別しようとした。その文章の執筆の時期や、あつかう対象、また語りかける相手のちがいにつれて、柳田の行なった空想.空想すると、想像.想像するの区別には、いかにもはっきりしている際と、そうでない場合が
ある。しかし後の場合も、空想.空想することをしだいに正確にしてゆけば、想像.想像するにいたるという、段階的なつながりにおいて——あい接し、境界がぼやけていることはあるにしても、その上辺と下辺では、ちがいがはっきりしている、という仕方で——使
われている。
具体的な根拠のない、あるいはあってもあいまいなものにたって行なう古層への心の動きを、空想.空想するとし、よりはっきりした根拠にたつ、しっかりした心の働きを、想像.想像するとして、柳田は使いわけているのである。そこで時には、ややとか、あきも
かにとかいう限定辞をかぶせねばならぬのではあるが、空想.空想するには、人間の心の働きとして、マイナス.消極的評価のしるしがついており、想像.想像するは、プラス.積極的評価のしるしがついている。
(大江健三郎『新しい文学のために』による)

1. 柳田が使う「空想丨空想する」と「想像.想像する」にはどのような関係があると筆者は考えているか。
互いに似ている部分があるが、「空想.空想する」から「想像.想像する」に変わることはない。
全く異なるものであり、「空想.空想する」と「想像.想像する」との境界ははっきりしている。
両極も境もぼやけていて、「空想.空想する」と「想像、想像する」との境界ははっきりしない。
両極は明確だが境はぼやけていて、「空想.空想する」から「想像.想像する」に変わることがある。

2. 柳田が「空想.空想する」という言葉を使うのはどのようなときだと筆者は考えているか。
はっきりしないものをもとに古い時代を考えるとき
はっきりしたものを根拠に古い時代をたどるとき
現代に残されている手がかりから過去をたどるとき
過去の出来事を手がかりに現代を考えるとき

3. 柳田が「想像.想像する」という言葉を使うのはどのようなときだと筆者は考えているか。
古い時代の民衆の心を伝えるとき
人間の心の働きを積極的に評価するとき
あいまいなイメージをはっきりさせるとき
明確な根拠にもとづく心の働きを表すとき

問題2

世界の諸民族のあいさつを調べてみると、(中略)握手に代表されるような相互的なあいさつはきわめてめずらしいことがよくわかる。それはたいていの社会で、身分や地位や役割がはっきり定まっているからにほかならない。また、毎日の軽いあいさつがおこなわれる社会が少ないというのは、それらの社会では人々はもっぱら家族や親族や部族など所属する社会集団の成員として生きていて、個人としての役割があまりみとめられていないことと関係している。そうした集団内では、物のやりとりなどの際にも、ふつうあいさつはいらないのである。たとえばインドでは家族や友入のあいだではふつう感謝の表現はおこなわれない。かえってタブー視されるのだが、家庭の食卓で塩を手渡してもらっても「ありがとう」という欧米流は、家族が一体になって暮らす社会では、むしろ「他人行儀」なことなのだろう。
日本人もいつのまにか家庭のなかで「ありがとう」をくりかえすようになった。しかも、それは文句なしによい習慣とかんがえられているようだ。それは家族が身を寄せあうようにして生きていた暮らしがすっかり過去のものになり、人間関係が様変わりしたことを如実に物語っている。
(野村雅一「身ぶりとしぐさの入類学」中央公論新社による)
タブー視する:人前で話したり、したりしてはいけないことだと考える
他人行儀:(家族や親しい人に対して)他人に対するように冷たく振る舞うようす
様変わりする:ようすがすっかり変わる
如実に:明らかに

4. 相互的なあいさつはきわめてめずらしいとあるが、なぜか。
多くの社会では、人々の身分 や役割がきまっているから
身分や地位に関係なく、握手が代表的なあいさつだから
毎日の軽いあいさつがおこなわれるのが、あたりまえだから
世界の諸民族では、身分や役割がまだはっきり定まっていないから

5. インドについての説明として正しいものはどれか。
個人としての役割がみとめられているので、ふつう家族に「ありがとう」と言わない。
家庭の食卓で塩を手渡してもらって感謝の表現を使わないことは、タブー視される。
家族や親族などの社会集団の成員同士の間では、感謝の表現がよく使われる。
家族が一体となって暮らす社会なので、あまり「ありがとう」と言わない。

6. 日本についての説明として正しいものはどれか。
「ありがとう」がよい習慣と考えられるのは、人間関係がかわって個人としての役割があまりみとめられていないからである。
かつては家庭あ中で感謝の表現はあまり使われなかったが、最近はよい習慣と考えられて頻繁に使われる。
昔から家庭の中では感謝の言葉がよく使われていたが、最近は文句なしのよい習慣として定着している。
家庭の中で感謝の言葉がよく使われるのは、家族が身を寄せ合うようにして暮らしているからである。


Answer Key:

Question 1: 4
Question 2: 1
Question 3: 4
Question 4: 1
Question 5: 4
Question 6: 2

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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-44/

問題1

人間には、道具をつくり、その道具に適応しようとする性質がある。そしてその道具に適応し過ぎてしまうことで、本来の人間の能力を削がれてしまうことがある。その適応力が仇となり、人間がつくった道具により人間が左右される。まるで、人間がつくった道具に人間がつくられてしまうかのように。歩きながらでもスマートフォンを使いたいという欲求にかられ、挙げ句に視野を大きくそこへ奪われ、自ら、そして他者をも危険な状況に追い込んでしまう。これもその現象のひとつだ。
(小川和也『デジタルは人間を奪うのか』による)

1. その現象とはどのような現象のことか。
道具によって人間が便利さに鈍感になる現象
道具によって人間が振り回されている現象
道具が人間にとって危険なものになる現象
道具の発展が人間の欲求を拡大させる現象

問題2

理系の文章は明確な目的を持っている場合が多いので、その目的に応じて読者は文章を読
む。このため、目的に合致した文章は満足感を読者に与える。たとえば、「東京都の交通渋滞に関する調査報告書」はそれを知りたい人が読み、その内容が過不足なく記述されていれば100点の評価となる。調査内容が不十分であれば評価は下がり、満足感は少なくなる。
しかし、もし著者と読者のあいだで、その文章を媒体として記述されていること以上の事柄が発見できれば、読者にとって最高の満足感となる。言い換えると、読者が新しい知識を発見する喜びを支援する、あるいはそのきっかけとなる文章こそが、100点以上の評価となる。それは著者と読者の「1」シナジー効果(二つのものから、それらの合計以上のものが生み出される効果)であり、それをもたらすには、著者は常に読者を意識し、読者とともに問題の解決にあたるという姿勢を持つことで文章に磨きがかかる。
いくら仕事や理系の文章だからといって「AはBだ、覚えておけ」という姿勢の文章では読者の満足感は少ない。むしろ、読者は自分の無知を知り、自己嫌悪に陥り、一方、著
者への親近感はなくなり、読む気がしなくなる。文章の目的を達成するために大事なことは、読者が最後まで読んでくれることである。いくら素晴らしい内容が書かれていても、読者が読む気のしない文章は目的を果たすことができない。
学生のレポートで、「2」それが一番よくわかる。なにしろ提出数が多いので、すべてを完全に理解しようとして読むことは不可能である。結局、最初の数行を読んで、あるいは全体を見渡して、読む気が起こるかどうかが評価に大いに影響する。これは、上司に提出する企画書や、コンペに応募する提案書などでもまったく同じである。
その意味で、人の読む気を誘う文章であるかどうかは重要である。では、読む気とは何か。それこそがシナジー効果である。
(中略)
読者が自力で新しいことを発見することの支援はなかなか難しい。むしろ、自分の思考過程を深く分析し、読者と一緒に考えようという姿勢を持つことが最も重要である。読者に与える完全な解答はなくても、解答に向かうひたむきな姿勢を示すことができれば良いのだということである。言い換えれば、ごまかしがなく、技巧を弄ばず、大げさにいえば著者の人生観を示すことで、真実に迫ろうという書き手の気持ちが読者に通じるのである。仕事の文章や理系の文章は、一般にはこういう行間の意味は不要と考えられているが、それでは無味乾燥の教科書文章となり、人の心に届かない。いくら人の脳に届いても、心に届かないものは読む気がしなくなり、結局、読者の脳にも届かなくなる。

2. 「1」シナジー効果とあるが、読者にとってのシナジー効果とはどのようなものか。
記述されている内容から、求めていた以上のことが得られる。
著者が伝えようとしている事柄を理解し、知識を増やす。
読むことを通して事実を知り、不十分な点を自覚する。
文章から足りない知識を補い、疑問を解消する。

3. 「2」それが一番よくわかるとあるが、何が一番よくわかるのか。
読み手に満足感を与えるのは難しいということ
素晴らしい内容でなければ読んでもらえないこと
読む気がしないものは終わりまで読んでもらえないこと
読んですべてを理解してもらうことは不可能だということ

4. 「3」脳に届いても、心に届かないとはどういうことか。
技巧には感心しても、内容には共感できない。
行間の意味は理解できても、内容には感動できない。
書き手の姿勢は理解できても、気迫までは感じられない。
内容は理解できても、書き手の気持ちは伝わってこない。

5. 理系の文章の書き手はどのような姿勢を持つべきだと筆者は述べているか。
読者の読む目的を分析し、読者に過不足のない情報を与えようとする。
読者を意識しつつ、真摯に解答を求めてその気持ちを伝えようとする。
読者に満足感を与えるよう、妥協せずに完全な解答を提供しようとする。
読者の読む気を最後まで誘うよう、読者の思考過程を深く分析しようとするぐ。

問題3

以下は、ある法律相談会に申し込んだ人に送られてきたメールである。
北原健二様RST法律事務所の田中良平と申します。
昨日、当事務所の「無料法律相談会」にメールにてお申込みいただきましたが、ご予約は電話のみとさせていただいております。お手数をおかけいたしますが、再度お電話にてお申込みくだいさいますようお願いいたします。その際、ご相談内容についての簡単な質問をさせていただきますのでご了承ください。
なお、平日夜の時間帯は大変込み合いますので、お早めにお申し込みくださいますようお願いいたします。
RST法律事務所 田中良平

6. このメールで最も伝えたいことは何か。
申し込みに必要な情報が不足しているので、電話で知らせてほしい。
申し込み方法が間違っているので、改めて申し込みをしてほしい。
電話での申し込み時に相談内容を聞くので、準備しておいてほしい。
平日夜の時間帯は特に込み合うので、早めに予約してほしい。

Answer Key:

Question 1: 2
Question 2: 1
Question 3: 3
Question 4: 4
Question 5: 2
Question 6: 2

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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-45/


100年ほど前にあたる1900年のとき、地球上の人口はおよそ16億人であった。それが現在、55億人になっている。
私たちが金魚鉢の金魚だと思えばよい。3匹の金魚が突然3.5倍の11匹に増えれば水が濁るように、3.5倍も人口が増えれば環境に何らかの悪い影響が出るのは当然であろう。「1」この人口のまま止まればまだよいのだが、(中略)たいへんな勢いでまだ増え続けている。1991年での世界入口の増加率は1.7%と推定されているが、それで計算すると、人口は40年間で倍増することになる。この増大傾向の修正のためには、地球上の私たち全員の「2」ライフスタイルの見直しが急務である。それにはどのような課題があるのだろうか。
(中略)
一つは私たち全員の価値観の問題である。伝統的価値観として「子沢山」が望ましいと見なす民族は世界でも少なくない。私たちの民族もそうである。子沢山を祝福する気持ちが私たちの国では現在でもあり、にぎやかな家庭の幸福像を描きがちである。1989年に、1人の女性が—-生の間に平均して何人の子供を産むかという合計特殊出生率が1.57になったときに、1.57ショックといって大騒ぎになった。「3」その騒ぎも、この価値観と関連している。そのときに、子供が1人ではかわいそうだ、日本の将来の労働力の減少をどうするのか、というような指摘があった。自民族の人口の減少に対する警戒心はたいへん強いのである。もちろん、ここでは国や民族レベルでの議論をしているのであって、個別の家族の子沢山の是非を論じているのではない。
二つ目の問題は社会システムの問題である。とくに貧困と差別について考える必要がある。国の経済力不足などで国の社会保障が十分でないと、老後などを心配して「4」国民はある人数の子供をつくろうとする。また、貧しい家族は子供に家族の労働力を期待して子沢山になる傾向が見られる。
さまざまな差別が人口に関わるライフスタイルに影響を与えるが、とくに男女差別は直接的な影響を与える。環境と開発に関する世界委員会がまとめた『地球の未来を守るために』(Our Common Future)は女性の地位の向上が子供数の減少につながると指摘したが、これは大切な指摘であろう。女性の地位が向上すれば、家族内での子供を産むかどうかということについて女性の発言権が増大し、「5」そのような社会においては子供の数が減少する。また、女性の雇用機会が十分に与えられている社会では、婚姻年齢が上昇し、そのことが子供数の減少につながっているという。
(鳥越皓之編「環境とライフスタイル」有斐閣アルマによる)

1. 「1」この人口のまま止まればまだよいとあるが、どういう意味か。
人口はまだ勢いよく増えているから環境を守ることができる。
人口の増加率が現在と同じ程度であれば環境への影響はない。
今以上に人ロが増えなければ環境の悪化もそれほどではない。
人口が100年前と同じ16億人であれば環境への影響はない。

2. 「2」ライフスタイルの見直しが急務であるとあるが、どうしてライフスタイノレを急いで変える必要があるのか。
ライフスタイルを変えれば、入口の増加率を低くしていくことができるから。
ライフスタイルを変えれば、人口が増えても環境に悪い影響を与えないから。
ライフスタイルを変えれば、食料生産が間に合って生活が豊かになるから。
ライフスタイルを変えれば、日本でも子供の数を増やすことができるから。

3. 「3」その騒ぎも、この価値観と関連しているとあるが、どういうことか。
日本で1人の女性が一生の問に産む子供の数が減ったことは、子供は要らないという現在の家族観に合致するということ
日本で1人の女性が一生の間に産む子供の数が減ったことは、子供の数が多いほうがよいという伝統的な家族観に反するということ
日本で1人の女性が一生の間に産む子供の数が増えたことは、子供は要らないという現在の家族観に反するということ
日本で1人の女性が一生の間に産む子供の数が増えたことは、子供の数が多いほうがよいという伝統的な家族観に合致するということ

4. 「4」国民はある人数の子供をつくろうとするとあるが、どうしてそうするのか。
国全体で老人より若い世代が多いほうが、労働力が豊かでいいと考えるから。
平均寿命が短いため、子供もたくさんつくっておいたほうがいいと思うから。
親が死んだあとに、子供が一人残ってしまうのはかわいそうだと思うから。
何人か子供がいれば、年を取ってから世話をしてもらえると考えるから。

5. 「5」そのような社会とあるが、どういう社会か。
夫が子供の数を決められる社会
男女差別がまだ強く残っている社会
妻の意見が尊重される社会
老後の保障が十分でない社会

6. この文章のまとめとして最も適当なものはどれか。
日本の女性が一生の間に産む子供の数が1.57人にまで減ったのは、国や民族の存続に関わる大きな問題だ。
人口の増大傾向を止めるには、子沢山を望ましいとする価値観を変え、貧困や男女差別をなくす必要がある。
家庭内の女性の地位が向上し、女性の雇用機会が十分あれば、男女差別もなくなるし環境問題も解決できる。
地球の環境を守るためには、人ロ増加率をおさえて100年前の16億人程度にまで減らさなければならない。

Answer Key:

Question 1: 3
Question 2: 1
Question 3: 2
Question 4: 4
Question 5: 3
Question 6: 2
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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-46/

問題1

子どもはこれから自分は大人になっていくのだから、自分はどうなるのだろうとそれは一生懸命に大人を観察している。その大人に魅力を感じれば、あんなふうになりたいと思うかもしれない。ほんのちょっとチャーミングなところを認めて、ああ失敗しても、どじばかりでもいいんだと思えることもあるかもしれない。あるいは、僕はあんな大人にはならないだろうけれど、あんなふうにするのもすてきだなと感じることもあるに違いない。とにかく子どもは、「1」そんなふうに常に大人を見ているのである。
(中略)
子どもはやがて大人になる。その大人に魅力がなかったら、それは自分に明日がないと言われているのと同じことだ。大人になってもつまらなそうだ。楽しいことがなさそうだと感じたら、君の未来はこの程度のものだとつきつけられているのと変わらない。「2」これほど子どもにとって不幸なことはない。
大人はいつも子どもに見つめられている、子どもが自分を観察しているということを自覚していなければいけないと思う。わが身をつくろって、いいかっこするのではない。正直に失敗するのなら、子どもより上手に失敗してみせよう、傷つくなら子どもより上手に傷ついてみせよう。人生の先輩としてというより、現役の子どもに対してベテランの子どもとして、ベテランらしいところを見せてやろうじゃないか。そういう気概の大人がたくさんいれば、子どもたちはきっと大人の世界に魅力を見いだすに違いない。それが幸福な子どもの将来につながるのだと思う。
(大林宣彦『父の失恋 娘の結婚-べそっかきの幸福そうな顔』による)

1. 「1」そんなふうにとあるが、子どもはどんなふうに大人を見ているのか。
早く大人になりたいと思っている。
大人の姿から魅力的な部分を探している。
自分が失敗したときどうするか考えている。
あんな大人にはなりたくないと思っている。

2. 「2」これほど子どもにとって不幸なことはないとあるが、何が不幸なのか。
大人を見ても未来の自分に希望が持てないこと
大人を見てもすてきな大人になる自信が持てないこと
大人を見ても今何をしておけばいいか分からないこと
大人を見ても将来自分のしたいことが見つからないこと

3. 筆者が大人に対して伝えたいことは何か。
人生の先輩らしく、いつもかっこいい大人でいよう。
ベテランの子どもとして、子どもを幸福な将来へ導いてあげよう。
子どもたちに、大人の魅力的な世界を教えよう。
子どもたちに、ベテランの子どもとしての行いを示そう。

問題2

次のAとBは、日本で外来語・外国語の使用が増加していることについての意見である。後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

国際化の進展や新技術の開発などに伴って、新しい概念やニュアンスの提示など、外来語・外国語を使用せざるを得ない面があり、また、既に外来語・外国語を用いた方がその日本語訳よりも分かりやすい場合もある。そうした場合は別として、一般的には、相手や目的に応じて十分な配慮の下に、その外来語や外国語を使用するか否かの判断がなされる必要があろう。外来語・外国語は基本的にその語に対する知識がないと伝達不能になることが多い。そういう意味で、広く国民一般を対象にしている官公庁、新聞・放送等では、簡単に日本語に言い換えられる外来語・外国語や耳慣れない外来語・外国語などは安易に使わないようにすべきである。
(文化庁2015年10月23日取得による)

「ユーザー」、「ケア」など多くの外来語・外国語が私たちの生活の中にあふれている。
外来語・外国語は意味があいまいなので使用すべきではないという声も多い。しかしグローバル化する現代では、既存の日本語で置き換えにくい新しい概念や事象を表す上で、外来語・外国語を使うのは仕方がないことだ。
一方、ある調査によると、若い世代は外来語・外国語使用の増加を容認し、使用する割合が高いが、年齢の高い世代ではその割合が低いそうだ。このような違いが、世代間のコミュニケーションの障害になるという心配もある。また、年齢が高くなってから利用機会が多くなる医療や福祉の分野で、外来語・外国語の使用が多いことも問題だ。外来語・外国語を使用する際には、相手が理解できるかどうかを考えることも大切だ。
外来語・外国語:ここでは、片仮名語

4. 外来語・外国語の使用が避けられない理由として、AとBが共通して述べていることは何か。
外来語・外国語の方が日本語で表現しにくい概念を表すこともできること
外来語・外国語がすでに定着して一般的になっていること
外来語・外国語を使用しないと外国人が理解できないと考えられていること
外来語・外国語を使用する方が現代的であると考えられていること

5. 外来語・外国語のあり方について、AとBはどのように述べているか。
AもBも、若い世代であってもできるだけ使用すべきではないと述べている。
AもBも、対象となる世代によって使用するかどうかを考えるべきだと述べている。
Aは安易に使用しないようにすべきだと述べ、Bは意味をよく理解した上で使用すべきだと述べている。
Aは国民一般を対象に使用する場合はよく考えるべきだと述べ、Bは相手に応じて使用した方がいいと述べている。

問題3

引っ越しというのは、誰にとっても面倒だが、いい面もあるだろう。すなわち、これまでの生活を振り返り、今後望むような生活を思い描きながら、そのために不要なものをどんどん処分する機会である、と。そういう意味では、引っ越しは日常生活を更生させるよいきっかけでもあるはずだ。私はいつもそのきっかけを活かしたいと思いながらも、なかなか実行するに至らない。むしろ何十年も、まるで亀のごとく重い物を背負いながら転々としてきたわけである。
(マイク・モラスキー日本経済新聞2014年3月25日付夕刊による)

6. 引っ越しについて、筆者はどのように述べているか。
不要なものを捨てる機会であり、自分もそのための引っ越しを何度もしている。
望むような生活をするためであり、自分もいい場所があれば引っ越しをしたい。
生活を一新する機会だが、自分は引っ越しをしてもそれを活かせていない。
いい面もあるが、自分は面倒であまり引っ越しをしていない。






Answer Key:

Question 1: 2
Question 2: 1
Question 3: 4
Question 4: 1
Question 5: 4
Question 6: 3

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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-47/

問題1

私たち人間によって悪臭というのは危険信号の一つである。もしも、食べ物が腐っているのに悪臭を感じなかったら、大丈夫だと思って食べて、食中毒を起こして死ぬかもしれない。私たちは、鼻という検出器を使って危険がどうかの判断をしている。
悪臭があるかないかは、私たち人間の判断であって、この判断が他の生物にもそのまま当てはまるわけではない。腐った物を屋外に出すと、すぐにキンバエが集まってくるように、腐った物はキンバエには、おそらく良い香りのものと思われる。キンバエにとって良い臭いとか悪い臭いとか、おいしい食べ物とかまずい食べ物とかという判断は、明らかに人間とは異なる。
微生物の中にも、人間と同じようなものをエサにするものもいるし、人間が嫌うものをエサにするものもいる。まずいエサとかおいしいエサという判断は、生物それぞれで異なるというごく常識的なことが、案外理解されていないようである。このために、悪臭物をエサにする微生物は、特殊で変な微生物だという誤解が生まれる。また、悪臭物ばかり与えたのでは、微生物が弱ってしまうのではないかというように考える人が出てきたりする。
物が腐ると悪臭が出るが、きこで出た悪臭は、ある種の微生物には重要なエサであって、この悪臭物でその微生物が育つ。これは、日常的な自然界の営みであり、この営みを担う微生物が自然界に広く分布している。
物質の循環にかかわる多くの生物の作用があって始めて、人間は生命を維持することができるのである。しかし、日常生活においては、その一部しか認識する機会がないために、自然環境について誤解している人が多いようである。このことがさまざまな環境問題の理解の妨げになっているように思える。
(松永是・倉根隆一郎「おもしろい環境汚染浄化のはなし」による)

1. 人間にとって悪臭を感じ取ることの意味は何か。
食べ物の安全性を判断できること
検出器の正確さを判断できること
その食べ物が好みに合うかどうか判断できること
その食べ物を食べると死ぬかどうか判断できること

2. 悪臭物をエサにする微生物が特殊で変だと誤解されるのはなぜか。
微生物がなぜ悪臭物に集まるか、ということが解明されていないから
微生物は常に人間とは違うものを好む、ということが認識されていないから
人間と微生物では好むものの判断が異なる、ということが理解されていないから
人間と微生物では持っている検出器が異なる、ということが明らかになっていない

3. 「その」が指す内容は次のうちのどれか。
人間は臭いを感じ取ることで生命を維持できるということ
人間は多くの生物の働きによって生きていられるということ
自然界には悪臭を好む微生物が広く分布しているということ
微生物には物が腐って発生した悪臭物がエサになるということ

問題2

中学生や高校生の頃ころ、歴史の時間が退屈だった。
(中略)
そんな私が四十歳の頃から歴史に興味を持ち始めた。何かを調べるとその辺りに知識の島ができ、別のことを調べるとまた別の島ができる。そのうちに孤立していたはずの二つの島が橋でつながる。「こういうことだったのか」という「1」驚きがある。一見関係のなさそうな二つのものが結びつくという意外性は、自然科学における醍醐味の最たるものでもある。歴史を調べれば調べるほど島々がネットワークのように結ばれて行く。人間や情報は地球上を移動するから当然なのだが、ネットワークの構築はなぜか脳にすこぶる心地よい。その上あらゆる現象に人間が絡んでいて余計に面白い。「2」歴史とは地球を舞台とした途方もなく壮大な演劇なのだ。自分や先祖も舞台の隅の隅の隅で参加している。それに人間の本質は変わらないから、人は似た状況で似たヘマを何度も繰返す。だから現在を考えるのに実に役立つ。
若い頃にこの面白さに気付いていれば、今と違い記憶力もよかったから強大かつ緻密なネットワークを完成することができ演劇をもっと深く味わえたのにとも思う。無理だったかも知れない。中年にさしかかって初めてこれまで生きてきた、そしてそう遠くない将来に消える自分の立位置を確かめたくなるからだ。家系を調べたくなったり先祖や自らがどのような時代の流れの中で生を受け生を営んできたかを知りたくなる。無邪気なままこの世から退場したくなくなるのだ。十代で歴史に興味を持つ者の気持は私には不思議だが、中年になって歴史に興味を持たない者の気持はそれ以上に不思議だ。
(藤原正彦『週刊新潮』2010年10月28日号による)
途方もない:とんでもない。比べるものもない。
ヘマ:失敗

4. 「1」驚きがあるとあるが、なぜ驚いたのか。
調べれば調べるほど、歴史の新しい事実がわかってくるから
自分は歴史が嫌いだと思っていたが、実は好きであることを発見したから
全く別だと思っていたものの間に、思いがけない関連性が見えてくるから
関連性があると思っていたものが、全く関係がないことがわかったから

5. 筆者が考える「2」歴史とはどのようなものか。
先祖や自分たちもかかわって作ってきたドラマ
自分たちの先祖が残した完成されたドラマ
自分が生きてきた時代を映したドラマ
過去の人間が複雑に絡んでいるドラマ

6. 筆者の気持ちに合っているものはどれか。
若いうちは歴史に興味がないのに中年になって自然に興味がわいてくるのは驚きだ
少しでも歴史を学べば時代の流れの中での自分の位置を知りたくなるのは当然だ
中年になって歴史における自分の位置を知ろうとしない人もいることは意外だ
十代のうちに歴史に関する知識のネットワークを構築しておくことが大切だ

Answer Key:

Question 1: 1
Question 2: 3
Question 3: 2
Question 4: 3
Question 5: 1
Question 6: 3

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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-48/

問題1

ウェブ時代に突入して、私たちの生活には、世界中のありとあらゆる情報が溢れかえることとなった。その量は膨大で、しかも、時間とともに流れ去ることもなく、データとして刻々と蓄えられ続けている。一方で、私たちの毎日はといえば、相も変わらず24時間しかなく、寿命は80年程度だ。どうやったって、そのすべてを網羅することなどできない。
私たちは、仕方なく、どんな情報とも、どんな言葉とも、忙しなく、広く浅いつきあいをするようになって、ふと我に返ると、自分は果たして、本当に、以前よりも、世間や人間に対する理解が深くなっているのだろうかと、不安を感じるようになっている。そういう時代に、小説は、まさしく「小さく説く」のである。
この広大無辺で、複雑極まりない世の中を、そして、そこに生きる人間の心の奥底を、誰の手のひらにでも収まるほどのコンパクトなサイズに圧縮して、濃密な時間とともに体験させてくれる。それが、小説だ。
確かに小説は、絵や彫刻のように、一目で見ることのできる物体ではない。ある一定量の記号の連なりである以上、時間をかけて、前から順番に最後まで辿っていかなければならない。しかし、その間、小説は絶えず、読者に語りかけ、読者に耳を貸し、読者の手を引き、読者と一緒に感じ、一緒に考える。それは、途方に暮れるような情報の海を泳ぎ回るのとは、まったく別の興奮を与えてくれるはずだ。
(平野啓一郎『小説の読み方—感想が語れる着眼点』による)
忙しなく:ここでは、時間に追い立てられるように
広大無辺で:限りなく広くて
途方に暮れる:どうしたらよいかわからなくなる

1. 筆者によると、ウェブ時代に生きる人々が感じている不安とはどのようなものか。
膨大な情報を理解する時間が足りないのではないか。
人や世間に対する認識が深まっていないのではないか。
蓄積され続ける情報の中から必要な情報が探せないのではないか。
人の心までが時間や情報に流されそうになっているのではないか。

2. 小説は「小さく説く」とあるが、どういう意味か。
人間の複雑な心理を簡潔に示す。
広く複雑な人間社会を少しだけ見せる。
人の心や複雑な世の中を凝縮して示す。
広い世の中の重要なところを圧縮して見せる。

3. ウェブ時代に小説を読むことについて、筆者はどのように考えているか。
小説には膨大な情報が詰め込まれているので、濃密な時間を体験することができる。
小説は複雑な世の中を説明しているので、情報が溢れる世界を深く理解できるようになる。
小説が読者に寄り添ってくれることで、現代の情報とのかかわり方とは異なる刺激が得られる。
小説が読者の手を引いてくれることで、情報社会で不安を感じず生きていけるようになる。

問題2

昼下がりのカフェでのこと。男女の争う声に振り向くと、ひとりの女が立ち上がり、持っていたグラスを逆さにして飲み物をこぼし始めた。
客達の視線が集まる。連れの男は顔を上げようとはせず、女の腕を掴んで座らせようとするが、女はその手を振り払うと、叫んだ。
「あんたなんか最低よ!」
ほかの客が言っている声が聞こえる。
「ドラマみたいね」
いささか陳腐だったが、「1」女は「演じること」ですっきりしたのかもしれない。
現実的ではないことを、「ドラマみたい」とよく言う。
13年前の朝のことだった。洗面台と洗濯機とのわずかな隙間に頭を突っ込んで、母が全裸で倒れていた。意識はなかった。
救急隊員の緊迫した医療用語が飛び交い、心臓マヅサージが始まる。オレンジ色の毛布を掛けられた母は、ピクリとも動かない。その隙に、開け放たれた玄関から飼い猫が外へ出てしまった。
当時、大学生だった弟が、とっさに猫を捕まえたその時、「猫なん構っている場合ですか!」と隊員の怒鳴り声が飛んだ。
弟は、「2」猫を抱いたまま立ち尽くしていた。
後は、「かかりつけの病院は?」、と、はじかれるように聞かれたことだけしか思い出せない。
これがドラマなら、大概は「姉弟でお母さん!」と駆け寄って下さい」と指示される。
人間は、とっさにとんでもないことをする。長年、人間を見つめる仕事をしてきたはずが、人の本当とはなにか、いまだに捉えきれないでいる。
(岸本加世子「岸本加世子の台本にないセリフ」2003年1月11日付朝日新聞による)
いささか陳膓だ:よくある情景だ
かかりつけの病院:いつも診てもらっている病院

4. 「1」女は「演じること」ですっきりしたとあるが、なぜすっきりしたのか。考えられる理由として、最も適当なものはとれか。
女は人前で男への怒りを十分に表すことができて満足したから。
女は女優として人前で上手に演じることができ、充実感を得たから。
女は人前で男を非難することで、他入から同情を得ることができたかち。
女は人前で男の手を払い、叫んだことを「ドラマみたい」とほめられたから。

5. 「2」猫を抱いたまま立ち尽くしていたとあるが、弟はなぜそうしたのか。考えられる理由として、最も適当なものはとれか。
隊員の救急処置に驚いたから
隊員の質問がわからなかったから
猫が外へ出て行きそうだったから
どうすればいいか、わからなかったから

6. 筆者は女優である。その立場から、この文章で言いたい二とは何か。
長年、女優の経験を積んできたので、とっさの時にも冷静に行動することができる。
長年、女優の経験を積んできたが、人間の心と行動を把握することは難しい。
長年、女優の経験を積んできたが、とっさの時にはまだうまく演じることができない。
長年、女優の経験を積んできたので、様々な人間の心と行動を捉えて十分表現することができる。

Answer Key:

Question 1: 2
Question 2: 3
Question 3: 3
Question 4: 1
Question 5: 4
Question 6: 2




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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-49/

問題1

人間と動物、動物と機械は、それぞれ決定的に異なる何かがあるのだろうか。それとも、その違いは、距離の差にすぎないのだろうか。
ここでは、たとえばそのなかの二つ、動物と機械の差を考えてみよう。たしかに機械は無生物であり、動物は生物の一部にほかならない。「___1___」は対立する概念なので、機械と生物はまったく異なるものということになる。
だが、たとえば現代の自動車工場では、日々、ロボットを使って自動車が製造されている。
この様子は、極端に言えば、まるでロボットが自動車をつくり続け、人間の労働者は、あたかもそのロボットの補佐役のようであるとも言える。そして、この工場のシステム全体を見ると、それがひとつの生き物のようである。これは、機械が機械を生んでいる、動物で言えば「世代交代」をしているかのように思える光景だ。
「世代交代」は、「自己増殖」と並んで、生物と無生物を分ける、生物の決定的な特徴とされている。だが、上記のように、今日のロボットや自動車は機械であっても、またその巨大な集積であるFA工場は機械システムであっても、「2」世代交代という機能をもっており、少なくともその面では、動物もしくは、動物の種の姿に近いと考えることができる。そう考えると、生物とは対立するはずの機械も、「3」その違いは単に距離の差に過ぎないと言える。
(奥野卓司『人間.動物.機械―テクノ.アニミズム』による)
あたかも:まるで
FA工場:生産システムが自動化されている工場

1. 「___1___」に入る適当なことばはどれか。
生物と動物
生物と人間
無生物と生物
無生物と機械

2. 筆者は自動車工場における人間の役割はどのようだと言っているか。
ロボットではできないような作業をしている。
ロボットが自動車をうまく作るのを助けている。
ロボットが自動車を作るのを見ているだけである。
ロボットに指示を与え、うまく使って、自動車を作っている。

3. ここで言う「2」世代交代とは具体的に何を指しているか。
ロボットが自動車を作り出していること
人間が新しい機械を作り出していること
同じ種類の自動車がどんどん作られていること
人間がロボットを使って機械を製造していること

4. 「3」その違いとは何と何の違いか。
ロボットと自動車
動物と動物の
動物と機械
動物と生物

問題2

高城洋二様
お世話になっております。本社秘書課の横山です。
来月の副社長出張のスケジュールに関して、以下変更のご連絡です。
8月8日(月)にムンバイ工場視察の予定でしたが、本社にて会議が入り、副社長のムンバイ到着は9日(火)22時となる見込みです。お手数をおかけしますが、視察日程の調整を翌日以降でお願いいたします。
また視察後に予定していた、ムンバイ日本商工会会長の竹内様との面談の調整もお願いいたします。なお、ムンバイ出発は8月12日(金)で変更ありません。
以上、よろしくお願いいたします。
秘書課
横山陽一

5. このメールを受け取った人がしなければならないことは何か。
副社長の工場視察を8月9日に変更し、竹内さんとの面談日程も調整する。
副社長の工場視察と竹内さんとの面談を8月10日以降で再調整する。
副社長の工場視察の日程と帰国日が変更になったことを竹内さんに連絡する。
副社長の工場視察後の面談がキャンセルになったことを竹内さんに連絡する。

問題3

毎年、花の種を蒔いたり、球根を植えたりする季節が近づくと、種苗を扱う農園から、色刷りのカタログが送られてくる。私には植物を実際に取り寄せて植える土地などはない
から、それを眺めて空想庭園を楽しむのである。しかし、それらの誇らしげに咲いている花の見合い写真を次々に見ていくと、連中が一様にある傾向を有していることに嫌でも気がつく。つまり、すべての花を「品種改良」によって、より大輪にし、そして何でもかでも八重咲きに造りかえてしまおうという、人間の趣味と努力と一種の意地がそこに反映しているのである。
(奥本大三郎『虫の宇宙誌』による)

6. そこは何を指しているか。
品種改良されていない花
カタログに掲載されている花
筆者が取り寄せたいと思った花
筆者が空想している庭園の花

Answer Key:

Question 1: 3
Question 2: 2
Question 3: 1
Question 4: 3
Question 5: 2
Question 6: 2
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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-50/

問題1

ストレスは、むやみに避けるものではなく、適当につき合っていくべきものである。そのつき合い方に示唆を与えてくれる動物実験を紹介しよう。
この実験では、2匹のラット(実験用シロネズミ)のしっぽを電線につなげて、そこに電気を流す。ラットは痛いので騒ぐ。ラットにとって、電流は大変なストレッサーだ。
2匹のうち「上司」とよばれるほうは、前脚で、目の前のスイッチを1回押せば電流を切ることができる。しっぽに痛みを感したら、スイッチを押して電気ショックを回避できるのである。もう1匹、「部下」とよばれるほうは、自分で電流を切ることはできない。上司が切ってくれるのをひたすら待つだけである。
この2匹に電流が一定量流された。上司と部下、両ラットがしっぽに受けた電気
ショックの量は全く同じである。それなのに、2匹のラットの胃を調べてみると、上司のほうが部下よりも潰瘍が小さかった。
この結果は、ストレッサーがあっても、自分でコントロールできれば、悪影響は少ないことを意味している。ストレッサーの量よりも、それをコントロールできるかどうかのほうが重要なのだ。しかも、コントロールできるかどうかは、多分に主観で決まる。
たとえば、長い時間働いている人が、それを強いられたものと思えぱ、長時間労働はストレッサーとなる。ストレスを引き起こし、からだと心に深刻な影響が出る。ところが、自分が好き好んで長い時間働いていると思えぱ、長時間労働というストレッサーをコントロールしていることになる。したがって長時間労働はストレスの悪影響を生まない。現実は一つでも、それをどう受け止めるかは当人次第なのである。
(相川充「反常識の対人心理学」による)

1. ラットを使ってどのような実験が行われたか。
電流を流し、ラットがそのストレスからどのように身を守るかを調べる実験
電流を流し、そのストレスが与える影響は条件によりどう違うかを調べる実験
電流を流し、匹のラットのどちらが早く電流を切ることができるかを調べる実験
電流を流し、それが胃の潰瘍を小さくするのにどの程度効果があるかを調べる実験

2. この実験で「上司」、「部下」とよばれる2匹のラットの役割は、次のうちどれか。
「部下」が「上司」の分の電流も受ける。
「上司」が命令し、「部下」が電流を切る。
「上司」がスイッチを押して、「部下」に電流を流す。
「上司」がスイッチを押して、自分と「部下」の電流を止める。

3. ラットの実験の結果から、どのようなことが言えるか。
ストレスは、多ければ多いほど悪影響が多い。
ストレスは、他との競争がある場合、悪影響が多い。
ストレスを自分で調整できる場合、悪影響は少ない。
ストレスを他から与えられる場合、悪影響は少ない。

4. 長時間労働によるストレスの悪影響を少なくするには、どうすればいいか。この実験から推測できることは何か。
職場の上司からの指示でも時には断る。
嫌な仕事でも力を抜かないで一生懸命仕事をする。
自分で時間をコントロールしてうまく体を休める。
やりたいという気持ちを持って前向きに仕事をする。

問題2

子どもが自室に閉じこもるのは親かち独立した自分だけの精神的世界を持ちはじめたことの現われだろうから、悪いとばかりは言えない。子どもだって、自分が親に完全管理されることをいつか嫌うようになるもので、もしそうならないとすれば、また「1」別の心配が生じるだろう。しかし、そうは言っても、これは程度問題で、子どもが学校から帰ってから寝るまで、食事の時を除いてずうっと自分の部屋にいる、というのでは、家族間
のコミュニケーションも稀薄になる。だから、子どもがある年齢に達して自室に閉じこもりがちになることを、一つの成長過程として認めるにしても、建築的に「2」それを
助長するような空間のつくり方は避けるべきだろう。
そういう考え方にしたがうと、子ども部屋は、あんまり居心地が良くない方がよいのではないか。居心地が良くない、というと語弊があるが、少なくても良すぎない方がいい。もっと正確に言えば、ある内向的な時を過ごすには居心地がいいが、その気持ちがふっと外へ向いた時には、多少気づまりに感じられて、自然に部屋の外へ、居間や食堂へ出ていきたくなるような部屋がいい。
(渡辺武信『住まい方の思想』中央公論社による)

5. 「1」別の心配とはどのようなことか。
子どもが独立心を持ちすぎて、自分だけの世界に閉じこもる心配
子どもに独立心が生まれず、親に依存する子どもになる心配
親が子どもに対して影響力を持たなくなる心配
親が子どもに完全に支配されることになる心配

6. 「2」それとは何を指すか。
子どもが自分の部屋に閉じこもらないようにすること
成長過程に必要なコミュニケーションをとること
子どもが自分の部屋に閉じこもりがちになること
家族間のコミュニケーションが生まれること

7. 筆者の子ども部屋についての考えはどれか。
子ども部屋は、子どもの独立心を養うためには不要である。
子ども部屋は、子どもがある年齢に達するまで必要である。
子ども部屋は、子どもが管理されすぎない設計がいい。
子ども部屋は、子どもにとって快適すぎない設計がいい。
Answer Key:

Question 1: 2
Question 2: 4
Question 3: 3
Question 4: 4
Question 5: 2
Question 6: 3
Question 7: 4

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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-51/

問題1

いつの時代も、親は子どもに成長してもらいたいと願っている。社会構造の変動が比較的少ない時代には、親が覚えている仕事のノウハウや心構えを、そのまま子どもに伝えれば子どもは親の跡を継ぐことができた。かつては、世代が変わっても次の世代がおよそ同じ事をすることができるようにするための「(1)世代間の伝授」が行われてきた。
しかし、再生産(リプロダクション)を主目的として伝承を行い得た時代とは、現代は事情が異なる。情報革命を核とした世界的な社会構造変革の波の中で、親は子に、上の世代は下の世代に、(2)「何を伝承したらよいのか」がわかりにくくなってきている。バブル期の社会的倫理規範の崩壊とその後のバブル崩壊による不況の長期化によって、大人たち自身が子どもたちに対して、「伝えるべきこと」や「鍛えるべきこと」に関して自信を失ってきている。
大人が確信を持って伝授・伝承すべきものを持たない社会は、当然不安定になる。たとえ子どもたちの世代が、それに反抗するにしても、そのような伝承する意志には意味がある。世によく言われる子どもの問題の多くは、「子どもたちに何を伝えるべきなのか」について大人たちが確信や共通認識を持てなくなったことに起因している。
(斎藤孝「「できる人」はどこがちがうのか」筑摩書房による)

1. (1)「世代間の伝授」とあるが、どのような伝授が行われていたか。
親は自分の仕事を自分がやってきたとおりに子どもに教えていた。
親は子どもが成長できるように自分より難しい仕事をさせていた。
親は社会構造の変動に合わせて、子どもに教える仕事の内容を変えていた。
親が仕事のしかたや心構えを直接教えなくても、子どもは同じことができた。

2. (2)「何を伝承したらよいのかがわかりにくくなってきている」のはなぜか。
情報革命により、大人が自信を失うような情報しか得られなくなったため
バプルが崩壊し不況が続いて、どのようなものを生産しても売れないため
社会情勢の変化により、正しいと思われていた規範がそうでなくなったため
世界中の情報が簡単に得られるようになり、子どもの興味が親と反対になったため

3. 筆者は、最近の子どもの問題の原因は何だと考えているか。
子どもに成長してもらいたいと思う親が少なくなっていること
社会の変化により、大人が子どもに技術を伝える機会がなくなったこと
子どもが反抗するため、大人が何かを伝える気持ちをなくしてしまったこと
大人が子どもに何を伝えたらいいかわかちず、社会が不安定になっていること

問題2

視覚や聴覚などの情報処理においては、脳の働きの個人差は比較的少ない。丸いものを提示すれば、脳はそれを丸いものとして認識する。丸いものを提示した時に、それを「丸」と認識する人と「三角」と認識する人が相半ばするということはあり得ない。同様に、あるピッチの音を聴いた時に、その情報処理に個人差はあまり見られない。
その一方で、ある事象に対する感情の反応においては、個人によるばらつきが大きくなるのが通例である。同じものを前にしても、全ての人がそれを好きだと感じたり、逆に全ての人がそれを嫌いだと思うとは限らない。ある人が好きだと感じるものを、別の人が嫌いだと思うのはごく普通のことである。感情においては、脳の反応に大きな個人差が見られるのである。
そもそも、感情の働きとは何であろうか?ひと昔前には、感情とはある特定の刺激に対する類型的な反応であると考えられてきた。大脳新皮質が担っている理性の働きが環境の変化に応じて柔軟な情報処理を行うのに対して、「爬虫類の脳」とも呼ばれる古い脳の部位が重要な役割を担う感情は、一定の決まり切った反応をするものと思われていたのである。
しかし、近年の脳科学の発達により、感情は、むしろ生きる上で避けることのできない不確実性に対する適応戦略であることが明らかになってきた。理性では割り切れない、結果がどうなるかわからないような生の状況において、それでも判断し、決断することを支えるための情報処理のメカニズムとして、感情は存在していると考えられるに至ったのである。
(中略)
感情が不確実性に対する適応であると考えると、その反応において個人差が生じるのは自然なことである。
不確実な状況の下では、とるべき選択肢の「正解」は一つとは限らないからである。
さまざまな人々が異なる戦略をとり、全体としてバラエティが増したほうが、人間という生物種全体としては、むしろ適応的である。生死にかかわるような状況においては、たとえ、ある選択をした人が不幸にして死んでしまったとしても、別の選択をした人が生きのびれば生物種としては存続できるからである。全体が同じ選択肢を選んでしまっては、環境の変化や予想のできない事態に対して脆弱になってしまう。
他人が異なる感情の反応を見せることを許容することの倫理的基礎は、まさにこの点にある。他人が自分と異なる感情の中にあることに反発するのは自然な心の動きであるが、とらわれてはいけない。自他の差異に対して許容的であることが、すぐれて生命哲学上の原理にかなっているのである。
(茂木健一郎「疾走する精神」による)
相半ばする:同じくらいである
とらわれる:ここでは、ある考えに縛られる

4. 知覚の情報処理と感情の反応について、筆者はどのように述べているか。
いずれも大きな個人差が見られる。
いずれも個人差はあまり見られない。
知覚の情報処理のほうが大きな個人差が見られる。
感情の反応のほうが大きな個人差が見られる。

5. 近年、感情の働きはどのようなものだと考えられるようになったか。
避けられない状況を受け入れるためのもの
避けられない状況において、理性を保つためのもの
不確実な状況において、判断して決断するためのもの
不確実な状況において、正解を求めるためのもの

6. 個人差が生じることがどのようなことにつながるか。
人間という生物種の存続
人間と他の生物種との共存
生死にかかわるような事態の減少
環境の変化に対応できる生物種の増加

7. 筆者の考えに合うのはどれか。
人々が生きていくためには、感情の個人差を敏感に察知すべきだ。
人々が生きていく上では、感情の反応の個人差を受け入れたほうがいい。
感情の反応に個人差があることこそが、人間であることのあかしである。
感情の反応に個人差があることは、人間を取り巻く環境の変化によるものである。

Answer Key:

Question 1: 1
Question 2: 3
Question 3: 4
Question 4: 4
Question 5: 3
Question 6: 1
Question 7: 2

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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-52/

問題1

生きものは危機と遭遇しそれを乗り切ることで進化してきました。人間社会も同じです。環境変化による影響
を受けにくくするため、私たちの祖先は集団生活を始め、都市を築き文明を育ててきました。協調が社会の基本にあります。文明の初期段階では、生き延びるため、皆が協調します。しかし、生存が既定のものと思うようになると、自分さえよければいいという自己利益の最大化に走ります。結果は滅亡です。
(日本経済新聞2010年3月8日付朝刊による)

1. 人間について、この文章からわかることは何か。
環境の変化に関係なく、協調性より自己利益を追求する。
生命の危機がなくなると、他者との協調性が薄れる。
文明が発展するにつれて、協調性が生まれる。
協調性を育てるために、集団生活をする。

問題2

以下は、動物園の飼育環境について書かれたものである。
動物たちにとって飼育係は大事な環境要因である。展示場としての環境の改善だけでは、動物たちの飼育環境の真の改善にはならない。日々動物と接触する飼育係は、時として動物たちのストレス源になることがある。飼育係がストレス源にならないためには動物をよく観察し、行動にあわせた世話をし、その動物の種としての特徴、個体としての性格を知らなければならない。
(小宮輝之『物語上野動物園の歴史』による)

2. 筆者の考えに合うのはどれか。
動物たちにとって、飼育係との関係は展示場の改善よりも重要である。
飼育環境を改善しても、動物にストレスがたまることがある。
飼育環境の改善には、飼育係が動物の特徴や性格を把握することも重要である。
飼育係の使命は、動物の特徴や性格に合った展示場を作ることである。

問題3

わたしは、暮らしや家族の中にある科学をテーマにして、雑誌に記事を書くことがあります。料理の科学、生活の中にある器具のしくみなどを取りあげて、科学を専門としない人たちにも関心を持ってもらえるよう記事づくりを工夫します。そんなとき(1)編集者の注文はこうです。
「一般の主婦の方々にとっつきやすくするために、内容は科学のことであっても「科学」ということばは使わないでください。「科学」と聞いただけて引いてしまう(そのベージを読むことをやめてしまう)人がけっこういますから」これは、わたしにとってはむずかしい注文であることが多いのですが、編集者の言うことは、一般の人に対する情報発信の心構えとして、現時点では適切と言うほかありません。「科学」ということばを使うか否かが大きな問題なのではありません。読者である「一般の人たち」も、発信する側である「編集者」も、科学に対して距離を感じているということであり、それは、現在の「科学技術」と(2)「それを使う人たち」の関係を象徴しています。作る側、発信する側は、当然その内容を熟知し将来の方向性を提案しますが、それを使う側の人は与えられたものを十分に理解せず「買う」という行動だけで受け入れていると言いかえられます。
(中略)
技術、そして科学技術は、その時代に生きている人々によって求められ発展してきたものであるはずですから、わたしたちはそれらの科学技術を使う主人公です。しかし、はたしてわたしたちの科学技術に対する理解は、科学の発展とともに進んでいるでしょうか?
たとえば、あなたの周りで、「科学はむずかしいから」と決めつけて、苦手だと思っている人はいませんか。
あなた自身はどうでしょう。科学的理論と実用化のレベルが複雑で高度なために、一握りの人たちにしかわからないむずかしいものになってしまっているのは事実です。
専門家や技術者が作り出したものを、マニュアルの通りに使うことさえできれば、(3)そのしくみなどを知る必要はない、という人もいるかもしれません。しかし、そのような使い方では、供給する側から示された技術の「良い部分」しか見えません。科学技術を提供する側からは「良い部分」しか聞かれないのだとしたら……。それらを使う主人公であるわたしたちは、与えられる情報だけではなく、科学的背景やしくみを少しでも知った上で、生活の中に取り入れるか、取り入れないのかを判断することが必要です。
良いこと(ベネフィット)も悪いこと(リスク)も考えながら科学技術とつきあっていく、その第一歩は、「知ること」です。
(佐倉純/古田ゆかり/リビング・サイエンス・ラボ「おはようからおやすみまでの科学」による)
とっつきやすくする:ここでは、受け入れられやすくする

3. (1)編集者の注文とあるが、編集者はなぜ注文したのか。
読者が科学に苦手意識を持っていると考えているから
読者が科学の専門的なことばを理解できないと考えているから
読者が考える科学と暮らしの中の科学は違うと考えているから
読者が持っている科学のイメージがはっきりしないと考えているから

4. (2)「それを使う人たち」について、筆者はどのように述べでいるか。
科学技術は使っているうちに理解できると思っている。
科学技術を使ってはいるが、理解しているとは言えない。
科学技術を理解してはいるが、使いこなせていない。
科学技術を理解しているつもりで使っている。

5. (3)そのしくみなどを知る必要はないと考えることの問題点は何か。
マニュアルがないと製品が使えないこと
マニュアル以外の使い方ができなくなること
供給する側の伝えたい情報が理解できないこと
供給する側に都合のいい情報しか得られないこと

6. 筆者が言いたいことは何か。
科学技術の知識を豊富に身につけることが大切だ。
科学技術をマニュアルに頼らず使いこなすことが大切だ。
科学技術を取り入れ、そのしくみを知ろうとすることが大切だ。
科学技術を知り、生活に取り入れるかどうかを判断することが大切だ。
Answer Key:

Question 1: 2
Question 2: 3
Question 3: 1
Question 4: 2
Question 5: 4
Question 6: 4
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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-53/


問題1

私たちは、日々、大量の情報を処理しなければならない現代において、本もまた、「できるだけ速く、たくさん読まなければいけない」という一種の強迫観念にとらわれている。「速読コンプレックス」と言い換えてもいいかもしれない。しかも、楽をしてそれができるのであれば、言うことはない。巷に溢れかえっている速読法を説く本は、そうした心理に巧みにつけこむように書かれている。
もちろん、時と場合によっては、速く読むことも必要だろう。「明日までに大量の資料を読んで書類を作らなければいけない」といった状況下では、速読や斜め読みは避けられないだろう。しかしそれは、単に一時的な情報の処理であり、書かれた内容を十分に理解し、その知識を、自分の財産として身につけるための読書ではない。単に、情報の渦の中に否応なく巻き込まれてしまっているだけで、自分の人生を、今日のこの瞬間までよりも、さらに豊かで、個性的なものにするための読書ではないのである。
読書を楽しむ秘訣は、何よりも、「速読コンプレックス」から解放されることである!本を速く読まなければならない理由は何もない。速く読もうと思えば、速く読めるような内容の薄い本へと自然と手が伸びがちである。その反対に、ゆっくり読むことを心がけていれば、時間をかけるにふさわしい、手応えのある本を好むようになるだろう。
(平野啓一郎『本の読み方スロー・リーディングの実践』による)
強迫観念にとらわれている:ここでは、強い思いから逃げられない
~に巧みにつけこむ:ここでは、~をうまく利用する
斜め読み:ざっと読むこと

1. そうした心理とあるが、どのような心理か。
本をたくさん読めるようになりたい
大した努力なしに速読法を身につけたい
「速読コンプレックス」に縛られずに読みたい
内容を理解しなければという思いから解放されたい

2. 筆者によると、速読をしなければならないのはどのようなときか。
情報の渦の中に巻き込まれないようにするとき
多くの情報を急いで処理しなければならないとき
多くの知識を自分のものとして蓄えようとするとき
社会の変化の速さに取り残されないようにするとき

3. 筆者によると、読書を楽しむにはどうすればよいか。
手応えのある本を繰り返し読む
本の内容に応じて速さを変えて読む
速さにこだわらずできるだけ多くの本を読む
速さや量にこだわらず時間をかけて本を読む

問題2

実在する人間の個性をはっきりつかんだ顔が、いわゆる似顔である。
似顔のコツとは、その相手のいちばん大きな特徴をつかんだら勝ちである。男ではめがねとかひげ、女では顔のりんかくと口もとを描いただけで、もうその人だとわかることもあるくらいだ。
政治家でいえば、(故)吉田首相はめがねと口、(故)岸首相は口もと、(故)佐藤首相はまゆ毛と目、そして(故)田中首相はひげが、最大の特徴であった。
一般に、アクの強い顔は「___1___」。わるくいえば、顔がくずれているからだ。こういう顔は、チラッと見ただけで、印象深く頭の中に残るから、特徴をつかまえやすい。さよう、相手の顔はチラッと見るに限るのだ。顔の全部を、穴のあくほど、ジーッと見ていると、だんだんかんじんの特徴はわからなくなってしまう。
ことに写真をもとに似顔を描こうとすると、その写真そのものが、本人と似ていなかったりすることもあるのだから、あまり、直感的な強い特徴がつかめないことがある。
それほど顔の特徴というものがない人がいる。こういう人の似顔はたいへんむずかしそうだが、特徴のない顔という点が、特徴といえば特徴といえよう。
ぼくは、こういう相手の似顔を描くときは、そばの二、三人の別な人物の似顔もいっしょに描いてみることにしている。
すると、その二、三人の顔の中にまじった「2」本人の顔が、なんとはなしに、やっぱりほかとはちがった個性があるなとわかってくるものだ。
(手塚治虫『マンガの描き方』光文社による)
りんかく:物の外側を形づくる線
アクの強い:人によっては受け入れにくい強い個性を持っているようす
さよう:そう、そのとおり

4. 「___1___」に入れるのに適当なことばはどれか。
かんたんに似顔になる
特徴がつかまえにくい
めがねやひげが必要だ
注意深く見る必要がある

5. 「2」本人の顔とあるが、何を指しているか。
個性的でアクの強い人の顔
写真と実物が似ていない人の顔
似顔を描いているときの筆者の顔
顔の特徴があまりないような入の顔

6. 筆者は似顔の描き方について、どのような考えを持っているか。
写真を見ながら似顔を描くのはまちがったやり方だ。
いかに相手の顔の特徴をとらえるかがかんじんである。
どんな人でもよく観察して顔の特徴をつかむのがよい。
初めて描くときは二、三人の似顔を同時に描くとよい。

Answer Key:

Question 1: 2
Question 2: 2
Question 3: 4
Question 4: 1
Question 5: 4
Question 6: 2

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https://japanesetest4you.com/jlpt-n1-reading-exercise-54/

問題1

日本では、政治家に限らず、選挙が行われる前に、しばしば話し合いによって当選者が決まっていることが多い。たとえ選挙が行われても、それは形式的なもので、実際には、前もって選ばれていた人が勝利を収める結果が、既に作ちれていることがよくある。問題点に関して、徹底的に論争を行い、相手を打ち負かした方が人気を得て選挙に勝つという、民主主義の原点とも言うべき選挙のやり方が、なぜ(1)日本では行われないのであろうか。
(2)「黙って俺について来い」という指導者は、日本では長続きしない、と言われている。日本の指導者は、先頭に立って集団を引っ張っていくのではなく、いくつもある意見の調整役なのだ。つまり、強い個性と明確な方針を持っているような人物は、自分の意見にこだわりすぎるため、他の意見を受け入れない。すると、彼によって受けいれられな
かった人々が、もともとはそれぞれ違う意見を持っていたにもかかわらず、団結して反乱を起こし、彼は指導者の地位を追われてしまうことになる。それよりは、一つ一つの意見に耳を傾け、何とか妥協点を見付けて、だれもが賛成できるような一つの結論へとみんなを導いていく、そのような人物がありがたがられるのである。
日本の首相が国際会議の場で、はっきりした見解や意見を言わず、ひたすら各国首脳の聞き役に回っているのも、(3)そのような調整役を果たそうとしているのである。
形式的なもの:内容を重視せず、決められた手続きに従っているようす

1. (1)日本では行われない選挙とは、どんな選挙のことか。
十分に論争をし、それに勝った人が当選する選挙
決められた方法によって形式的に行われる選挙
話し合いによって当選する人を決めてしまう選挙
前もって選ばれていた人が結局勝つような選挙

2. 日本では(2)黙って俺について来いという指導者が長続きしないのはなぜか。
はっきりした見解や意見を述べようとしないので、人に信頼されないから。
自分の考えを強く持ち、他人の意見を聞かないので、敵ができてしまうから。
民主主義的な選挙を行わず、指導者として失格だと見なされるから。
他の人と論争になったとき、相手を打ち負かすことができないから。

3. (3)そのような調整役とはどのようなことをする人か。
論争をして相手を打ち負かす人
だれを選ぶか前もって決める人
先頭に立って集団を引っ張っていく人
周りの人の意見を聞き妥協点を導きだす人

問題2

「1」読書とは、本を買うことである。買ってしまえばこっちのもの、いつか必ずページを、開く。買って積んでおくだけの、俗にいう「ツン読」も読書のうちなのである。
この場合の「買う」とは、書店で手にして、ちらとでもこころが動いたち、即座にその場で買ってしまうことを指す。
もうちょっと考えて、とか、明日でもいいや、とか、帰りに駅前のあの店で買えばいいか、なんぞと考えた瞬間、その本との縁は切れたと知るべし。(中略)
その場で即座に買えないのは、一つには失敗を恐れるからだろう。せっかく買っても、読んでみてつまらなかったらどうしよう、と考えてしまう。しかし、「2」失敗も読書のうち。読んで、つまらない、と感じるのは読んだからなのである。「つまらない」と思っても、それを「失敗」と考えてはいけない。「つまらない」と判断できたことをむしろ誇るべきなのである。つまらない本をつまらないと感じられる人は、面白い本を面白いと感じられる人。失敗を心配するよりも、本質的につまらなく、くだらない本を、面白いと感じているかも知れないことのほうを心配すべきなのだ。
せっかく買ったんだからと、つまらないのを我慢して読みつづける必要はない。自分の判断を信じて、すぐに放り出せばいい。
もちろん、数多い本の中には、すぐには面白さの伝わりにくいものもある。はじめはとっつきにくくても、読み進んでゆくにつれて面白さがにじみ出てくる本がある。いったんは放り出したのに、何かのひょうしにもう一度手にしたとき、実に面白く読める、「3」そういう類の本もたくさんある。
何度も読んで、そのたびに新しい面白さを発見する本もある。たとえば漱石の『吾輩は猫である』は、小学校三年生のとき以来、何度手にしたことか。二十歳にはそのときの、還暦には還暦の楽しみ方がある。
(轡田隆史「考える力」をつける本」三笠書房による)
俗にいう:一般的に言うように
~なんぞと:~などと
とっつきにくい:親しみにくい
何かのひょうしに:偶然に

4. 筆者が「1」読書とは、本を買うことであるでいう買うこととはどのようなことか。
時間をかけて、よく考えてから買うこと
少しでも興味を持ったら、すぐに買うこと
書店で手にとって失敗しないように買うこと
よく知っている店で、店員に相談して買うこと

5. 「2」失敗も読書のうちとあるが、なぜか。
いろいろな本を読むことで、本の価値が判断できるようになるから
本を買って失敗したと思っても、買ってしまった本は最後まで読むから
失敗だと分かっていても、読書することによって知識の量がふえるから
いろいろな本を読むことで、くだらない本でも面白く感じるようになるから

6. 「3」そういう類の本とはどんな本か。
面白さを発見するために読む本
何度読んでも、面白さを発見する本
第一印象とはちがう面白さを持つ本
面白くなくても読み続けなければならない本

7. この文章のまとめとして最も適当なものはどれか。
つまらない本を読み続けても、面白くなるとはかぎらない。
買った本を何度も読めば、その価値が分かるようになるはずだ。
読書の面白さを知るためには、まず本を買って身近に置くことだ。
本の面白さは年齢によって変わるので、小学生からの読書が大切だ。

Answer Key:

Question 1: 1
Question 2: 2
Question 3: 4
Question 4: 2
Question 5: 1
Question 6: 3
Question 7: 3

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問題1

たとえば、あなたが会社の中で企画部門に属し、「1」目標値を設定する仕事を与えられたとする。ここでは達成不可能な目標を設定したところで意味がないとされるから、外部環境や内部の状況を含め、諸々の要素を検討することになるだろう。その上で現状から考えて、達成可能かつできる限り高い目標を探ることになる。
このとき、あなたが今後変わりうる外部環境を完璧に予想し、会社内部のすべてを完全に把握している存在であれば、目標を設定する仕事はこの上なく素晴らしいものだ。社員全員がこれに向かって全力を出せばそれでいいことになる。
しかし、実際にはそんなことはありえない。外部環境は予想もつかない方向に変わりうるし、社内では、上からの目が届かないところでアイデアを隠し持った人が必ずいる。固定化した目標は、不確定要素にまったく対応できないのである。しかも、こうした事前に予想ができない要素にこそ、大きなビジネスチャンスが転がっている。
だから目標を設定するならば、変化に対応する中で、各人の創意工夫の果てにやっと達成されるようなものでなければならない。しかし、事前にこれらをすべて盛り込むことはできるはずもないから、何となく納得感のありそうな落とし所を探すことになる。大人はこの落とし所という言葉が大好きなのだが、こんなものに意味があるはずもないのだ。これではすべての可能性を引き出すことができないのである。
これは個人としても同じことである。(中略)
試合直後の力士にインタビューをすれば、「明日の一戦をまた頑張るだけ」と答えが返ってくるだろう。ゴルフツアーの最終日を明日に控えたプロ選手でも、翌日のスコア目標などは口にしない。そんなことを考え始めれば、プレイが崩れ始めることを知っているからだ。それにもかかわらず、なぜかビジネスになると、途端に誰もが最終ゴールを決めようとする。スポーツよりも遥かに不確定な要素が多いにもかかわらず、目標によって自分たちを縛りつけようとするのである。これにはかなり「2」違和感を覚える。
どんなことでも、周囲の状況はどんどん変わることが当たり前である。それにもかかわらず、自分だけ変わらないのはおかしい。過去に立てた目標によって自分を窮屈な存在にしてはいけないのである。もしどうしても目標を立てたいのであれば、ほとんど実現不可能なくらいの大きな目標を持つべきだろう。しかし、これ自体はその達成方法を考えるのに役には立たない。自分が持つ可能性を大事にしたいのであれば、目の前のことだけに没入し、何かしらの変化を察知するにつけ、次のベストを探すというスタンスを保持することが重要である。
(成毛眞『大人げない大人になれ!』による)

1. 「1」目標値を設定する仕事では、どのような目標を設定しようとするか。
外部環境や内部の状況の変化を完璧に予測した目標
現在の状況から見て無理なく達成される目標
成し遂げられる範囲の中で最も高い目標
達成が難しくても取り組む価値のある目標

2. 筆者は、何がビジネスチャンスにつながると述べているか。
創意工夫を生み出す社内環境
社員にとって納得感のある目標設定
社内外の不確定な変化に対する大胆な予想
社内に埋もれている発想や社外で起こる変化

3. 「2」違和感を覚えるとあるが、どのようなことに違和感を覚えているか。
不確定な要素が多いため目標を立てないこと
周囲の状況は変わるのに目標を固定すること
目標を立てたのにそれを口にしないこと
目標を立てたのにそれを変えなくてはならないこと

4. この文章で筆者が言いたいことは何か。
実現不可能なくらいの大きな目標を立てて達成に向けて努力すべきだ。
自分の可能性を大事にするためには、大きな目標を立てるべきではない。
自分が持つ可能性が最大限に発揮できるような目標を探し続けることが重要だ。
目標を立てることに縛られず、目の前のことに最善の対応をすることが重要だ。

問題2

調べることと書くことは、もっぱら私のようなジャーナリストにだけ必要とされる能力ではなく、現代社会においては、ほとんどあらゆる知的職業において、一生の問必要とされる能力である。ジャーナリストであろうと、官僚であろうと、ビジネスマンであろうと、研究職、法律職、教育職などの知的労働者であろうと、大学を出てからつくたいていの職業生活のかなりの部分が、調べることと書くことに費やされるはずである。「1」近代社会は、あらゆる側面において、基本的に文書化されることで組織されているからである。
人を動かし、組織を動かし、社会を動かそうと思うなら、「2」いい文章が書けなければならない。いい文章とは、名文ということではない。うまい文章でなくてもよいが、達意の文章でなければならない。文章を書くということは、何かを伝えたいということである。自分が伝えたいことが、その文章を読む人に伝わらなければ何もならない。何かを伝える文章は、まずロジカルでなければならない。しかし、ロジックには内容(コンテンツ)がともなわなければならない。論より証拠なのである。論を立てるほうは、頭の中の作業ですむが、コンテンツのほうは、どこからか材料を調べて持ってこなければならない。いいコンテンツに必要なのは、材料となるファクトであり、情報である。そこでどうしても調べるという作業が必要になってくる。
(立花隆ほか『二十歳のころ』新潮社による)

5. 「1」近代社会とあるが、筆者はその特徴をどのようにとらえているか。
官僚でも、ビジネスマンでも、研究者でも活躍できる社会
文書が作られ、それに基づいて人や組織が動いている社会
法律職などの知的労働者が作成した文書に従って動いている社会
大学を出てから職業につく人があらゆる場面で必要とされる社会

6. 「2」いい文章とあるが、筆者はそれをどのようなものと考えているか。
調べることと書くことに時間を費やした文章
人々を感動させて社会を動かそうとする文章
自分の伝えたいことが相手に十分伝わる文章
小説家が書くような豊かな内容の文章

7. いい文章を書くために必要なことは何か。
論理を組み立てることと、論理を支える情報を調べること
論理とそれを支える証拠を頭の中で組み立て、見つけだすこと
ジャーナリストが持っているような知的能力を身につけること
ジャーナリストだけでなく、あらゆる職業生活について知ること

Answer Key:

Question 1: 3
Question 2: 4
Question 3: 2
Question 4: 4
Question 5: 2
Question 6: 3
Question 7: 1