教育の現場に携わるものとして①以前から気になることがあった。学生たちと何を議論していても、たいていだれかが「私はこう思うけれど、人それぞれ、いろいろな考えがあると思うし、それでいい」という趣旨の意見を述べ、そのとたん、議論が成り立たなくなることである。
「人それぞれ」で「何でもあり」となれば、社会問題の大半が個人の好みと選択の問題に矮小化(注1)されてしまう。ゼミでは②「人それぞれ」を禁句(注2)にするなどの対策をとってはみ
たものの、私は学生の間に蔓延(注3)する個入志向的考え方にきちんと対峙(注4)できずにいた。そのようなとき、ある授業で学生たちが書いたリポートを読んで、頭を殴られたようなショッ
クを受けた。
このところ過失とはとうてい思えないような悲惨な交通事故のニュースが相次いでいる。そこで交通事故や被害者の人権について、これから免許を取得する若い人に考えてもらいたくて、二木雄策氏の『交通死』という本の読書リポートを課した。
大学生だった二木氏のお嬢さんは、自転車で交差点を横断中、赤信号を無視して突入し
てきた自動車にはねられて亡くなった。加害者(注5)の女性は執行猶予(注6)付きの判決で刑務所(注7)に入ることもなく、また、損害賠償の交渉も支払いも保険会社が代行した。
加害者の信号無視で被害者は命を奪われたのに、加害者は(少なくとも形の上では)以前と変わらぬ生活を送ることができるのだ。加害者に手厚い(注8)現行の諸制度は、③人の命より
も車(イコール企業)を重んじる社会だとの著者の主張には説得力があると私は思ってい た。 ところが少なからぬ学生の反応は予想をしないものだった。「加害者がかわいそう」だ
と言うのである。被害者の立場からの主張のみが述べられているのは「客観性に欠ける」という。私は④頭を抱えてしまった。二木氏の文章は、娘を失った父親の沈痛な思いがせつせつと(注9)伝わってくるものの、決して激情(注10)に駆られて書かれたものではない。むしろよくここまで冷静に書けるものだと感心するくらいなのだ。
もちろん加害者には加害者の人生がある。しかし学生たちは、その人生に豊かな社会的想像力を働かせるわけでもなく、単に、被害者側の見解だけでは一方的だと主張する。
杓子定規に(注11)客観的・中立的立場を求めなければいけないと思いこんでいるようなのだ。
まるで立場の異なる二者の間で意見の対立が見られた場合には、足して二で割ればちょうどよいとでも言わんばかりに。
なぜ学生たちは、加害者と被害者の対立図式にこだわり、著者が訴える問題の社会的広がりに気づかないのか。もどかしい(注12)思いでリポートを読むうちに合点がいった(注13)。例の
「人それぞれ」である。 あらゆる意見が私的なものであれば、娘の交通事故死を経験して「くるま社会」の異常
さを訴える父親の主張も一つの個人的立場に過ぎず、その意味では加害者の立場と等価なのだ。主張の対立のなかから、あるべき社会の姿を模索する努力を放棄したとき、社会正義は足して二で割るというような手続き上の公平さに求めざるを得ない。
(小笠原祐子「『何でもあり個人主義』の退廃」2000年7月11日付朝日新聞朝刊による) (注1)矮小化する:重要でない、小さいことにする (注2)禁句:避けて使わないようにする言葉
(注3)蔓延する:大きく広がる (注4)対峙する:向き合って立つ (注5)加害者:他人に危害を加えた人 (注6)執行猶予:刑を一定の期間実行しないで、その期間を事故なく過ごした時には、
刑を受けずにすむ制度 (注7)刑務所:刑が決まった人を収容するところ
(注8)~に手厚い:~を大事にする (注9)せつせつと:人の心を動かすほど強く (注10)激情に駆られて:激しい感情に動かされて
(注11)杓子定規に:一つの標準、形式ですべてを決めようとする融通のきかないやり方で (注12)もどかしい:思うようにならなくてイライラする (注13)合点がいく:意味がよく分かる
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問(1) 筆者は学生について①「以前から気になることがあった」としているが、それはどのようなことか。
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1.自分とは考えの違う人の意見を無視して議論を進めようとすること 2.正しい結論にまとめるために、たくさんの人の意見を聞きすぎること 3.いろいろな意見を出し合うが、お互いが理解しているか気にしないこと 4.それぞれが自分の意見を言うが、一つの結論を導く姿勢を持拳ないこと |
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問(2) 筆者はなぜゼミで②『人それぞれ』を禁句にしたのか。
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1.一人一人の考え方や好みが違うということを学生たちに認識させるため 2.それぞれが自分の選んだ社会問題を議論したいと思っても一度にできないため 3.個人的な問題は社会問題と比べたら小さいもので、議論するものではないため 4.個人の考え方の違いで済ませるのでなく、社会全体のことを考えて議論するため |
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問(3) 二木氏のお嬢さんをはねた車を運転していた人の事故後の状況について、正しいものはどれか。
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1.刑務所には入らず、賠償金は保険会社を通して支払われた。 2.事故後すぐ相手にお金を払ったので、刑務所には入らなかった。 3.事故後すぐは、前と同じ生活ができたが、後で刑務所に入った。 4.刑務所には入ったが、賠償金を支払ったので、すぐに出られた。 |
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問(4) 二木氏が③「人の命よりも車(イコール企業)を重んじる社会だ」と主張する根拠は何か。 |
1.交通事故で被害者が亡くなっても、加害者がそれに合った罰を受けないこと 2.社会の人々が、交通事故の被害者より加害者に同情するという傾向があること 3.今の制度は、加害者の生活より加害者の会社のことを考えた制度だということ 4.保険会社は、人が亡くなっても、車の損害分しかお金を支払ってくれないこと |
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問(5) 筆者が④「頭を抱えてしまった」のは、なぜか。
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1.学生たちが被害者よりも、悪質な交通事故を起こした加害者の方が正しいとして同情しているから 2.学生たちが、被害者の主張を十分に理解せずに、ただ客観的であることが大切だと考えているから 3.娘を亡くした二木氏に同情し、客観的判断をしていなかったことに、学生たちが気付かせてくれたから 4.被害者の立場だけを考えるのは社会正義から考えて正しくないということを、学生たちが、気付かせてくれたから |
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問(6) 筆者の解釈では、学生たちはどのような意見を持っているか。
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1.学生たちは、加害者の立場よりも被害者の立場をもっと重んじるべきだと考えている。 2.学生たちは、意見を述べるときには、私的に述べるのではなく、社会正義を考えるべきだと考えている。 3.学生たちは、被害者も加害者も一人の人間であり、それぞれの立場から平等に主張してよいと考えている 4.学生たちは 、 被害者 、加害者の意見を聞いた上で 、 社会のあるべき姿から考えて 、 加害者に罪を償わせるべきだと考えている 。 |
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問(7) この文章の後に続く筆者の主張として、最も適当なものはどれか。
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1.社会正義を重んじるあまり、戦後広がった個人主義を批判し、個人の権利を否定するのはやめるべきである。 2.人はそれぞれ違うということを認識し、それぞれの人の立場、考えを尊重して、無理に議論で結論を出すべきではない。 3.個人の権利が尊重され、価値観が多様化した社会の中で、自分の意見を他人に理解してもらう努力をもっとするべきである。 4.個人の権利の尊重が強調されがちであるが、異なる立場の人々の意見に耳を傾けながら、もっと議論を高める努力をするべきである。 |
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