〔A〕「近ごろの母親」 冬場の小児科医院は忙しい。(中略) こどもの受診に付き添うのはお母さんと決まっているようだが、東京・世田谷(せたがや)で長年開業している小児科医のM先生は①「近ごろの若いお母さんには、まいります」ともらす。 忙中閑ありの宵、お酒をくみかわしながらうかがった診療場面での最近母親事情は-----。
〈第一場〉②自分中心の母。 「先生、この子、お薬ではだめなんです」 「どうして?」 「一発で治していただきたいんです。注射で」
「.....」 「だって、私、仕事が忙しいんですから」 仕事を振りかざす母親に、M先生は言葉を失う。 〈第二場〉③泣き虫の母。
一カ月と置かずに幼児を無料検診に連れてくるお母さんがいた。M先生が「異状はありませんから、もう少し間を置いて来られたらどうですか」とさとした。たちまち、お母さんの目から涙があふれた。
M先生は、少し言葉がきつかったかと、どぎまぎ。 「この人は、しかられるということがなかったのか」と考え込む。 く第三場〉④○×式の母。 「熱はどうですか」
「あります」 「きのうは?」 「ありました」 「どのくらい?」 この調子で、聞いたことしか答えない。国会の証人喚問ではあるまいし。○×教育の後遺症だろうかと思ったりする。 (中略) 優しい先生を困らせるとは、悪いお母さんたちだ。 |
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〔B〕「父親はどこに」 「近ごろの母親」から、たちまち⑤逆襲の便りが殺到した。 先週、この欄で書いたのは、小児科医院での応答の一幕。
「このような話を見聞きするたびに、ふしぎに思うのは『近ごろの父親』のことです。こういう場面には、どうしてお父さんが登場しないのでしょうね」(東京の女性から)この問いかけが大方の声を代表している。恥ずかしながら私自身も、こどもの受診につきあったのは数えるほどもない。
小児科や老人科には、社会のひずみと矛盾が凝縮しているのだろう。お父さんの姿が見えない舞台で展開される悲喜劇を描いたつもりだったが、ここはやはり⑥舞台裏ものぞかなければなるまい。お母さんたちの便りから、こんな状況が浮かぶ。
〈第一場〉冷たい父親。 「あなた、たまには、お医者さんに連れていってよ」 「こどもが熱を出したくらいで、男が仕事休んじゃ笑われるよ。医者の顔も知らないし」
「私だって、会社にそう迷惑はかけられないのよ」 というわけで、母親は焦って注射を求めたのかもしれない。
〈第二場〉寂しい母親。
こどもの具合が悪いと、お母さんは心配で仕方がないが、親身の相談相手がない。「なんでもないですよ」といってもらいたくて小児科を訪れる。涙は、医者にまで冷たくされた寂しさからか、声をかけてもらったうれしさの余りだったのか。 〈第三場〉こわい医者。 お医者さんはいつも忙しそうで、こわい存在だ。それが、つっけんどんな○×式応答を生む背景になる。「父親不在で、家に閉じこもる母親を考えると、こんな応対はふしぎではない」という意見もあった。
まだ数は少ないが、ひと昔前に比べて、小児科を訪れる父親は増えているそうだ。それは、ふだんからおむつの世話などをしていたお父さんだ。⑦「近ごろの父親」のコラムが書けるような変化を期待したい。
それにしても、優しいお母さんを困らせるとは、悪いお父さんでした。私も含めて。 (1993年3月1日,3月9日付朝日新聞夕刊「窓」による)
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おむつ omutsu -
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