人間が環境に適応してうまく生きていくためには、子どもにしろ、学生にしろ、あるいはまた社会人にしても、さらに一家の主婦でも一国の総理大臣でも、自分のおかれた状況を意識し、その中での自身の立場をよく知り、考え、それによって今どのように行動したらよいかを正しく判断することがもとめられます。この場合に動員される精神機能が、知能です。したがって知能には、直感とかひらめきのような瞬間的に心に浮かぶ判断力から、瞬間的にはわからないが長時間熟慮のすえにようやく一つの判断にたどりつく心の働きまで含まれることになります。
〔 ①
〕、心の働きのみちすじや精神活動の手続きを踏まない本能的行動や動物本来の反射的行動などは、知能とはいえません。たとえとして、②野生のサルが食べ物をさがして食べる行動をみてみましょう。
まず、サルが空腹をおぼえることは、動物本来の生理的感覚ですから知能ではありません。しかし、その空腹感によって食べ物を求めようとするとき、どこに食べ物がありそうかと考え、そちらの方向へ移動をはじめようとするのはサルなりに判断が働きますから知能でしょう。ところで移動のさい、どの道を通ったら安全で効果的かの選択は知能によりますが、走ったり歩いたりの筋肉運動自身は、機械的になされますから知能活動とはいえません。[ A
]
ともかくそのようにして、ある物体を目撃し、それが食べ物か否かの判断はサルの知能によります。つまり、サルはその物体を直感的にか仔細にかいずれにせよ観察して、③それがやはり食べ物だと見ぬきます。そこで食べはじめるわけですが、元来ものを食べる行為は、無防備になることですから、サルは安全に食べられる場所をさがさなければなりません。安全と思われる場所で食べはじめても、不意の外敵に襲われないよう絶えず周囲に気をくばっていなければなりません。このような用心は〔 ④ 〕。[ B ]
一方、サルが食べ物をムシャムシャ食べるさい、食べ物を噛むことは機械的におこなわれ、同時に唾液が口中に出てくることも反射によるものですから知能とはいえません。じゅうぶん噛んでから胃のほうへのみこむことも消化管の反射運動ですので知能ではありません。[ C ]
さて、このようにサルで観察される知能的行動と反射的・本能的行動の絡みあいは、⑤レベルに大きな差はあるものの、人間の場合にも原則として当てはまると思われます。つまり、人間では、サルとくらべて知能を必要とする事柄が圧倒的に多いのですが、日常生活が知能と反射・本能によって営まれていることは、サルも人間も共通ではないでしょうか。[ D ]
動物でもサルよりずっと進化の程度が低くなっていくと、その行動は知能によるものがだんだん減っていき、本能や反射に支配されるものが大部分となってきます。(中略)
端的な例ですが、アメーバの行動は、完全に周囲の状況に対する反射によっておこるのであって、アメーバが、多少であっても知能を働かせて行動することがあるとは考えられません。いいかえれば、アメーバは、知能などなくても生きていかれるし、子孫も栄えているわけです。
(安藤春彦「知能とは何か』講談社による)
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