電話とは、ときどき、ひどくいまいましいものである。 その憎たらしさは、ひとえにその便利さのせいである------したがって、私の家にも、電話がある。
ちょっとした用件なら(いや、べつだん用件などなくても)手紙より電話のほうが手っとりば
やい。遠距離でなければ、はるかに安い。その上、切手の買い置きがあったはずだけれど、などとやたらにいろいろな引出しをかきまわさなくてもいいし、雨が降っていようがいまいがポスト まで出かけなくてもいい。
が、何にもまして電話の便利な点は、相手の気分だの都合などを無視して、ブザーひとつで強引に電話口へ呼びつけ、有無を言わさず受け答えを強要することができるところにある-----それはもう、①便利を越えて痛快と言っていい--------。
その痛快さをささえるために、電話をかけられたほうが少々不幸になることもあるのは、②「便利さ」というものの配分にかんする必然性の問題なのかもしれない。じっさい、風呂や便所へ、はいってしまったあとでかかってきた電話なら堂々と無視できるけれど、はいる寸前、つまりほ
とんどはいる態勢になったところを不意打ちに来る電話は、あなたをかなり不しあわせにしかねない。(中略)
たまたま家族がみんな出かけてしまった日曜日など、なぜかひとりで留守番というかっこうのとき、電話の鳴るたびにのこのこ立って行くのがおっくうで----だいたい私あての電話は少ないのだ----断固無視してやろうとは思っても、リーンリーンリーンと鳴りつづけるあの音に対して
居留守(注1)をつかうにはよほどの③図太い神経がいるらしく、ためしに意地を張ってみると、けっきょく、いちいち席を立つよりも、無視しとおすほうが④よほど心の疲れは大きいのであった。
にもかかわらず、 ( a )になってみれば、居ながら蕎麦屋でもすし屋でも、ためしたことはないが警察にでも出前(注2)を注文することができるというのは、じっさい愉快、痛快、喝采にあたいする。いざというとき110番(注3)のかわりに「助けて!すぐ来てください、警察御中」と手紙を出す(もちろんその前にはがきや切手をさがす、それから速達料金はいくらだったか思い出す
……)という手間を思えば、どう考えたって、電話を呪うことなど⑤とんでもない忘恩というもの である。
無論、 ( b )にしてみれば、郵便のほうが概して控えめで、好感がもてる。(中略)急用でもあれば、帰ってから開封することにして、テープルの上にほうり出したまま出かけてしまってもいいび手紙はおくゆかしく、とちらが返事をするまでけたたましい音をたてつづけたりはしない。
手紙がめんどうなのは、さよう、自分が( c )にまわったときのことである。電話不精ということばはまだないけれど(個人的に私にはあるのだが)、筆不精という悩みは確実に存在する。と、ここでちょっと⑥不安になって、ひょっとすると不精ではなく無精だったかしら……と、思いまどう(注4)ところが、すなわち手紙を書くのはくたびれるという理由のひとつに相違ない。
本当なのだ。電話なら、不意をねらわれた相手がまごついているところへ、こちらはいい状態にあるから好調にまくしたてればいいし、主語と述語が噛み合っていようがいまいが、まちがっ
て自分のほうに敬語をつけようが、どうせ小用をこらえて(注5)曇った状態にある相手は気がつくまい ……と、たかをくくる(注6>こともできる。
とすると、もはや結論は出たようなもので、その短絡的結論によれば、( ⑦ )にかぎるの である。 (佐藤信夫『レトリックの記号論』講談社による)
(注1)居留守をつかう:本当はいるのに、いないふりをすること (注2)出前:料理を、注文した人の家まで届けること (注3)110番:警察の電話番号 (注4)思いまどう :まよう
(注5)小用をこらえる:トイレに行くのをがまんする (注6)たかをくくる:大したことはないと思う
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